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性暴力救援センター のリンク追加
運営母体もさまざまですが、
大阪に一か所、民間のSACHICOができてから、
警察庁のモデル事業として愛知に一か所、
東京にも民間のTSUBOMIができ、
先月7月から、佐賀県でも性暴力救援センターができたそうです。
このブログ右サイドバーに、リンク追加しました。
佐賀のはHPがまだないようなので、一番わかりやすいだろうと思われる佐賀県の説明してあるページにリンク貼りました。
まだまだ足りない。
一か所もなかった頃にくらべたら、ようやくここまできた、とうれしい思いもありますが、
気になる点も。
愛知のは警察庁のモデル事業で、佐賀のは行政が主体となってやってるわけで、民間より断然断然お金は持っている、のに、なんだこの昼間だけ事業は。と色々不満はあります。
正直、24時間ではない、という点で、かなり不備があると思います。佐賀なんて行政主体でお金あるのにHPすらまだですよ。
特に警察庁なんて、把握しているデータだけで、性犯罪が起こる時間が一番多いのは夜だとわかっているはずなのに。モデル事業でこれっておい、みたいな。
被害者としての私自身の経験から言うと、被害直後に警察に行ったら(まず病院に連れて行かれますが、病院内部に設置してあるのが上記四つのセンターのようなのでパトカーで刑事さんに連れられて病院に行くということはしなくていいと思われるし仮にそうなっても配慮がある程度はあるのではと思うしもしなければ自分の嫌なことは嫌と言っていいのです)
立件に必要な証拠もとれるし、
被害直後に駆け込めるところが必要なのに、という思いが強いわけです。
とはいえ、あちこちにできてきたのは、歓迎すべきことです。
ほんとうは各都道府県に一か所でも足りないくらいなのだから。
性犯罪の公訴時効に関して
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- テーマ : みんなに知ってもらいたい
取り上げたのはNHKと東京新聞のみです。
「置き去りにされている犯罪被害者 ― 性犯罪被害者」のエントリで書いたように、
性犯罪を裁判員裁判の対象にする割には模擬裁判さえしていない状態で組み込み、そのわりには時効に関して全く置いてけぼりで、また置き去りになっているわけです。
心身にこれだけダメージを与える犯罪にも関わらず、とても適当な扱いで、重大事件として扱ってないのです。
公訴時効に関してはパブリックコメントも募集していたので、なんとか書いて出したかったのですが、
わたし自身、時効に関してうまく考えがまとまっていないのと、個人では名前電話住所等が必要なのと、時間的な制約や心身の不調もあり、ほんとうに残念ながら無理でした。
私の心身への影響、人生への影響という点で考えると、被害の影響が完全に消滅するというのは難しく、性被害を受けた自分を完全に捨てることはできず、そういった悲しい面と共存していくしかないのです。
ただ私は、形としては刑事裁判という形で、はなはだ不本意ではあるものの判決が出ているので、時効について本当の意味で語れないと思います。
犯人が捕まらず時効を迎える。犯人が誰かさえ分からない。訴えたいと思ったときにはとっくに時効で納得いかない。
そういった声を多く聞きます。
できればそういった声を反映させたかったのですが、自分の言葉で語れず、またどなたか窓口になってくれる方を探す気力もなく、時間切れとなってしまいました。
今回の公訴時効の件で、残念ながらひとりでは限界があるな・・・とつくづく思いました。
それぞれ経験も思いも違うとは思いますが、わかちあって、支えあって、いつか要望書やパブリックコメントなど出せるようになりたいと思っています。
できる人が、できるときに。無理のない範囲で。
あまり拘束力がない、したいときだけ参加するというようなグループをつくれないかな、と思ったりしています。
やはり当事者の声というのは大きいようですから。
伝えていきたい気持ち、経験。きっといろいろな思いがおありだと思います。
今回の公訴時効にかぎらず、お話したいことを、お話したい分だけ、
教えていただけるととても嬉しいです。(もちろん個人情報は伏せてください)
あちこちで言われて、そして多少実感もしているのですが、たしかに無理をすると倒れます。
歯がゆいですが、ゆっくり進んでいくしかないというのは本当なのでしょう。
被害者当事者の声を届ける体制作り。
これを目標にしたいです。
東京新聞の記事を以下に載せますのでご覧下さい。
(画像アップロードのやり方がわからず見づらくなっていて申し訳ないです)
※2度クリックすると見やすくなります。

別館の記事はこちら→http://d.hatena.ne.jp/manysided/20100120/1263963642こちらは性暴力に理解のある方、管理人と友好関係にある方に限定させていただいています。
二次加害をするのはこんな人
- ジャンル : 日記
- テーマ : みんなに知ってもらいたい
「どうしてそういうことを言うのだろう」
「どうしてそういう態度をするのだろう」と。
(ひどいPTSDなどさまざまな身体的精神的症状で悩まされている上に、
自責感と罪悪感でいっぱいで苦しくて辛くてたまらなかったのだが、
それにおいうちをかけるのが、二次加害三次加害をする人たちの心無い言動だった。)
結局、人は差別したがる生き物なのだ、と当時の私は悲しい結論を出した。
異質なものを排除したがるのだ、と。
理由を無理にでも探し出し、レッテルを貼ることで、「あの人はこうこうだからこうなった」とする。
そしてその裏には「自分は大丈夫」と安心したい気持ちが大きく潜んでいるのだろう。
弱っているときには、その弱っている状態をすら理由にされることもある。
だが、ダメージを受けると弱った状態になるのは当たり前のことではないだろうか。
逆に、二次加害をしない人というのは、
いまは一時的に弱っているだけで、自分と対等の存在なのだ、強さも尊厳も持っている一人の人間なのだ、
ということを思っている人だ。
そういう人は、多様な価値観を認められる人でもあると思う。
これは経験から強く言えることだ。
では、以前とりあげさせてもらった本から、そのあたりについて抜粋させていただこう。
ぜひ、多くの人に知ってもらいたいと思っている。
「傷ついたあなたへ わたしがわたしを大切にするということ」p78~80より二次被害にあったらどうしたらいいの? ― ランキングをはずして楽になろう
世の中には見えないランキングシステムがあります。これを取り入れている“ランキングさん”は自分がランキングでどの辺に位置しているかが気になります。実際にランキング表があるわけではなく、とてもわかりにくいものです。ランキングさんは他者の状態と自分の状態を比較することによって、自分のランキングを定めようとします。自分の価値観で生きているというよりランキングシステムにとらわれているような状態です。 ランキングシステムを取り入れていない人は他者と自分を比較して一喜一憂することはありません。ランキングではなく、違いとしてとらえるからです。どちらが上か下かではなく、こんな人もいればあんな人もいる、といったように考えるのです。相手の価値観も自分の価値観も大切にできる生き方です。
二次被害から自分を守る
ランキングにこだわっている人に自分の経験したDVやトラウマについて話をすると、ランキングのネタにされることがあります。それは「シンパシー(同情)」という形で表されます。
これとは別に、「シンパシー」に似ていますが全く違う「エンパシー(共感)」もあります。このふたつを比べてみましょう。
(※引用者註
本書には、「シンパシーさん」が、当事者の方が座っている椅子よりも、
ずっと高い椅子の上から見下ろしている話している様子のイラストが描いてあります。
対して、「エンパシーさん」は、当事者の方と同じ椅子の高さで、同じ目線で話しているイラストです。)
シンパシー(同情) エンパシー(共感)
・☆さんを「不幸」とひとくくりにする事で ・大切なひとりの人がいま困っている
「不幸」を自分の日常から切り離す と考える
・☆さんを上から見る ・☆さんと同じ目線で考える
・☆さんを「不幸」と感じる事で、 ・被害=不幸との発想にならない
自分が不幸でないと安心できる
・☆さんとは上下関係が形成され ・☆さんとはフラットな関係になり
☆さんには自分の不幸を恥じる 信頼関係がうまれる
気持ちがうまれる(二次加害)
つまりシンパシーを感じる“ランキングさん”は、相手を不幸と認定することで自分のランキングがその人よりも上であると思うのです。その多くは無意識に行われ、“ランキングさん”はよいことをしている気分になっているかもしれません。「かわいそうに・・・何かわたしにできることがあったら言ってね」とやさしい言葉をかけたりします。「あんなにやさしい人なのに、なんでいつも会ったあとは気分が落ち込むのかしら」と混乱するかもしれません。
一方、エンパシーを感じる人は、一人の大切な人が困っていると考えます。相手を下にみることはありません。
(強調は引用者)
「自分とは違う」ということで差別するというのは、つまり、ここに書いてあるように、
「自分は上」「相手は下」と、位置づけを決めたがることだ。
これが「ランキング思考」という言葉で表されている。
そして、性に関することは、特にジェンダーギャップが激しい。
性暴力は、性差別と密接すぎるほど密接に絡み合っている。
なのでひどい二次加害が相次ぐ。警察でも。司法の場においても。
そして、二次加害だということさえ、わからない人が多い。
それだけ、性差別をまるで空気のように当たり前のように存在するものとしている社会なのだ。
ジェンダーは刷り込まれる。もちろん私も例外ではない。
ランキングとは、すなわち、社会から押し付けられる「男らしさ」「女らしさ」によって決定付けられる。
そのことを上手に表現されているのが、次のブログ。
■性別役割ではなく、人として強くやさしく■
すべてを肯定する「ありのまま」(no.237)
「ありのまま」という言葉を、最近よく見聞きします。「自分らしさ」という言葉に続いて、講座のタイトルにもよく使われるようになりました。にもかかわらず、「『ありのまま』の自分というものがわかりません」という、質問を受けることがよくあります。もしかしたら、上のような表現が混乱のもとになっているのかもしれません。この表現では、焦ることは「ありのまま」の状態ではないという意味にもなり、焦る自分を否定するニュアンスになってしまいます。
誤解なく「ありのまま」を伝えるために、表現を変えてみました。
*あせっても のんびりしても ありのまま*
講座では悩んでいるという状態が、悩みになっている人にもよく出会います。以前、フェミニストカウンセラーの和田洋子さんの電話相談員になるための講座の中で、辛いことに目をそらさずに悩むということは「力」であると学びました。大事なことは悩みぬくこと、そのことに寄り添うことだと話されました。
焦るときも、悩めるときも、頑張り過ぎるときも、いかなる状態であってもそれが自分の「ありのまま」だということです。
「ありのまま」に目をそむけずに受け入れ、誰のせいにもせず、主体的に自己を受け入れることによって人生を自分の手に取り戻す。
そうすれば、おのずと道は開けていく。自分の存在意義を信じぬく強さと、他者の存在意義を信じぬくやさしさ、その力が人権やエンパワメントという概念とつながっているのだと思います。
画一化された社会的な性のありようとしてのジェンダーは、「男の価値は○○」「女の価値は○○」といった性別による価値付けそのものです。価値を競うわけですから、勝ち負けといった格差を生み出します。個の「ありのまま」の否定は、時として自尊感情に大きな影響を与えます。自尊感情が育たなくなるだけでなく、それが負け組という社会評価になるわけですから、さらに追い込まれ存在意義を見失い、世の中への恨みを抱えることによって犯罪の加害者になることだってあるのです。
一人ひとりの「ありのまま」が認められるということは、多様性が認められ、負け組をつくらないということです。
他者の幸せを踏みにじらない限り、一人ひとりの自己決定が尊重されるということです。
一人ひとりが大切にされ、活かされる国であってほしいと思います。(略)
二次加害を受けると全ての人が、犯罪の加害者になることもある、ということではないので、誤読されないことを願います。
それほど社会から追いつめられ孤独を深める、辛い状態になるのだ、という意味ではないでしょうか。
<参考>
■東京強姦救援センター■
・センターニュースNO47「女役割にごまかされない 」
・センターニュースNO48 加害者の責任
・センターニュースNO49 加害者の責任(2)
・センターニュースNO62 被害をなくすためにできること
・センターニュースNO63 被害を理解するために
最後に。
■フランチェス子の日記■
実録・セカンドレイプ/性犯罪が起こる要因
など、数々の勇気づけられるエントリを書かれたフランチェス子様に、心からの敬意を。
一連のやりとりで、さまざまなことがわかりましたし、なにより励まされました。
別館にも同じ内容の記事をあげます。http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091209
性暴力に理解がある方はこちらでどうぞ。
暴力と一言で言っても、
DVであったり、虐待であったり、いじめ、モラハラ、パワハラ、セクハラ、ストーカーなど、
様々な暴力があるけれど。
(参考 : “暴力” “人権” を改めて考える )
性暴力は、破壊的ダメージを与え、性に関して加えられた暴力であるゆえに、
おかしな色付けがなされ、よけいに苦しむこととなる。
(参考 : 性被害についての認識のずれ )
でもやはり、暴力、外傷、という点では、共通しているところは多い。
かの有名な、トラウマ、PTSDの専門書である「心的外傷と回復」。
素晴らしい本。
ただ、これは専門書ゆえに分厚く、難解なところもあり、簡単には読めない。
ずたずたな自分の心にに向き合うのってただでさえ苦しいから、余計にそうだと思う。
少なくとも、私は、そうだった。気力がないとき。
ひどい鬱やPTSDに悩まされていて集中すること自体が困難だったりしたとき。
本を読む、勉強する、というのは、本当にできなかった。
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最近見つけた本で、良いと思ったもの。
やさしい語り口で、さらさらっと読めるのがいい。
何より、薄い本なのだけど、かなり重要なことがぎゅっとたくさん詰まっている。
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引用させていただきたいところは、たくさんあるのだけれど。
今日はその一部を。
精神の健康に必要な5つの力
精神的に健康であるためには、5つの要素を保つことが大切です。
①安全・安心
②信頼
③愛情
④自分の力・コントロール
⑤自尊心
DVや虐待(※引用者註//性暴力も同様) はこうした5つの要素を打ち消してしまいます。
①安全・安心
暴力や危険をもたらす環境では安全感をもてません。安全感をとりもどすにはまず危険や暴力から離れることです。離れられない場合は、生活の中で安全な時間や空間を作るように心がけることです。それだけではまだ十分に安全を感じられない場合でも、毎日同じことの繰り返しを経験していくと安心感がもどってきます。(略)長い期間安全な毎日が繰り返されることで安全・安心を信じられるようになります。
②信頼
身近な関係でありながら自分に虐待を続けるパートナー(※引用者註//加害者や二次加害者も同じ) との関係は信頼して関係を築く力を衰えさせます。安全な環境を手に入れると、以前よりも注意深く、本当に信頼できる人に対して信頼感をもつようになります。
③愛情
自分を愛してくれるはずのパートナー(※引用者註//加害者や二次加害者も同じ) からの暴力は愛情を感じたり与えたりする力を奪います。安全感を得、信頼感がもどると愛情を感じたり与えたりすることができるようになってきます。
④自分をよい状態にコントロールする力
暴力のある環境から離れられないと感じていたり、パートナー(※引用者註//加害者や二次加害者も同じ) にはかなわないと感じている時は自分をよい状態にコントロールする力がもう自分にはないように感じられます。しかしその環境から離れて自分をコントロールする力に自信がもてるようになります。また今までは相手の機嫌にばかり焦点をあてていましたが、自分の状態に焦点をあてて自分のケアに時間が使えるようになります。
⑤自尊心
暴力があったり、尊重されなかったり、本来自分がもっている力を感じられなくなる環境は自尊心を容赦なくうばいます。しかし環境が整ってくる中で、自分を大切な尊い存在、人に愛されるのに値する人間であると感じられるようになり自尊心が高まります。
5つの要素がそろうと自分の精神の安定がもどり自分らしく輝くようになります。
「傷ついたあなたへ―わたしがわたしを大切にするということ
DVトラウマからの回復ワークブック」 p34~36
註、で書いたのは、私の経験から。
ひどいことをされたら傷つくのは当たり前。
でも、目に見えない形で傷ついていると、よけいに周囲の無理解で孤立してしまうかもしれない。
精神的な症状、病に関しては、まだまだ偏見が横行していることもあって。
怪我をして血を流している人には言わないことを、
心が大けがしてずたずたにぼろぼろになっている人には、言われてしまう現実。
本当に、身体的な病気と同じで。
脳の中の物質の変化で、引き起こされる症状なのだけれど、なかなか理解してもらえない。
でも、声を大にしていいたい。
性暴力は、上記の、5つの要素をことごとく奪うのだ。
被害に遭われた方へ。
どうか、自分を責めないでください。
もうじゅうぶんすぎるほど傷ついているのだから、
どうか、ご自分を、いたわってあげてください。
傷ついたら、休んで、回復する権利があります。
何もできない、と思っても。
苦しくて苦しくて、どうしようもないと思っても。
それも全て、回復へと向かっているのだと私は思うのです。
弱ってしまったように思えても。
何もかもが変わってしまったように思えても。
ただ、一時的にダメージを受けてしまっただけで。
あなた本来の、持っている力。強さ。
そういったものは、実は、何も変わってはいないのだから。
何度でも、何度でも、言いたい。
あなたは、なんにも、悪くないのです。
声を聴かせてください
- ジャンル : 日記
- テーマ : みんなに知ってもらいたい
水面下で動いてはいます。
加害者や加害者親族、そして二次加害者や三次加害者に、
居場所を知られたくないので、あまり書けないのですが・・・
簡単に言うと、
私なりの「働きかけ」を行っております。
恥をかきたくない、というだけかもしれませんが、
聞く姿勢を持ってくれています。
ま、あまり期待できないな、と思ったところについても、
最初のひどさに比べると、少しは変化を見せております。
なにしろ、民事と刑事では、性犯罪は十年くらい、状況が違いますので、
彼らなりの勉強する姿勢はあります。
とはいえ、「そこからかいっ」と言いたくなるくらいですが・・・。
曖昧に書くしかできないので、変な表現になりますが。
ものすごく生意気なことを承知で言うと・・・
母のような海のような広い広い心で(苦笑)
「・・・するのよ~」「・・・しちゃだめですよ~」
と念押ししながら、
「しっかりおやり~」とお尻を叩いているようなものです。
機嫌を損ねないよう、聞いてもらえるよう、言葉や言い方を選びながら。
(とはいえ、一部失敗したりもしているのです。)
話し方も難しいし、資料も段階に応じて選ばなくてはならないです。
今のところ、そういう形で、遠方から攻めていくしかないように思います。
「神話」をくつがえすために。
歯がゆいように思いますが、
結局は人なので、
聞く耳を持ってくれている人を、大事にしようと思います。
遠回りではあっても、近道になることもあるかもしれません。
案外、ちょっとしたことが、大切なのだなと最近思います。
道のりはまだまだ遠いですが、
でも、やってみるものだな、と思います。
相手にもよるのでしょうが、
改善しようという気配が見えると、
私は素直に嬉しいです。
その他、これをしたいな、と、現時点で考えていること。
・判例を変えよう運動
・不起訴理由のおかしさを指摘しよう運動
伝える手段は、模索中です。
しかし、簡単な報道でしか詳細がわからないので、難しいなとも思います。
ただ、とにかく、関係者は「神話」を信じきっているので、
いろんな角度から崩していくことが必要なのは間違いないでしょう。
これは長年継続してやっていく必要があると思います。
方法は思いつかないけれど突破口を探していること
・取調べ可視化を、性犯罪被害者を対象に、先に導入してほしい
(質問され、それに答えたものが、正確に反映されずに物語調でつくられる調書。
これをなんとかしたいです。あまりに精神的負担が大きすぎます)
・被害者が示談する意味、したくてするわけではない、ということを訴えて、
刑事裁判における示談の扱いを変える
等々、です。
現時点では、理解してくれそうな人に、伝えている段階です。
これを、どうやって、影響力のある人に働きかけるか、が問題です。
細かく分けると他にも山ほどあるのですが・・・
報道のあり方や、記者クラブに自動的にいってしまう情報の扱い方、
なども、重要だと思います。
ネット社会、情報化社会で、どこからどう情報がいくのか、
怖いなとつくづく思います。
あまりに根深く多岐にわたる問題だらけですが、
小さな動きでも、積み重ねることが大切なのかもしれないと思います。
いつか、大きな流れの一部となれば、とても嬉しいです。
被害に遭われた方、
もしよろしければ、
あなたの声を、聴かせてください。
わたし自身の知らないことが、まだ、たくさんあると思います。