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「DVは犯罪です」

衝撃的なポスターを見た。たくさん見た。

大きな文字で、「DVは犯罪です」 と、デカデカ書かれていて、
「夫婦ゲンカとの区別はついていますか」「ひとりで悩まないで」
云々書いてあり、相談窓口やら色々が書いてあった。

似たような感じのポスターがいろいろ貼ってあった。「ストーカーは犯罪です」「セクハラは人権侵害です」いろいろ。内閣府がつくったのもあれば、都道府県や市町村がつくったのもあれば、民間団体がつくったのもあった。


なんでそういうポスターがいろいろ貼ってあるかというと、どうやら6/23 ~ 6/29は男女共同参画週間らしい。知らなかった。

・・・それはいいんだけど。

どうやらこの国は、「DVは犯罪です」とわざわざ声高に主張しなければいけないほど、まだまだ全然、認識が足りていないらしい。
・・・とっくの昔にDV法はできているのに。平成14年4月に全面施行、16年12月「改正DV防止法」が施行、です。これが人権後進国でなくて、何というのだろうか。後進国というより、未開国なのでは。
もう、ため息も出ないような、無力感をひしひし感じた。暗澹たる気持ちになった。

こういう現実を突きつけられると、さすがに辛いなあ。


そういや以前、現役警察官がDVに関するシンポジウムで、とんでもないことをぬかし仰ってた。
「いやあDV法ができて、女性は守られるようになりました!」
「男も守って欲しいと思うんですねえ」

・・・そういうのは、男同士でぐちぐち飲みながら言え。
奥さんが怖いのか娘が怖いのか職場の女性が怖いのか何なのか知らないが、警察官が言うことか。
しかも被害者の方もたくさん来てるんだよ??
加害者はどんだけ異常で恐ろしくて被害者がどれだけ怖い思いしてるか、全然わかってない。
まだまだ全然、不十分なのに。しかも「二次被害にじゅうぶん気をつけてます!」とか得意げ。
・・・「お前の存在が二次加害」だ、って思っちゃいましたよ。

で、その後、冷静に、反論した。抗議した。
女性から男性への暴力と、男性から女性への暴力の違いとかを言ったような気がする。詳しくは覚えてないけど。
そしたら、なんと 逆ギレされた。
・・・いやなことを思い出した。


ああ。この国はいったいどうなっていくんだろう。何年経っても認識は変わらないらしい。
もういっそ、脱出してしまいたくなる。

もちろんこういう男性ばかりでないのは承知しているが、あまりに、女性への暴力に関して無自覚、無知な人が多すぎる。

なんか性被害にあってるからといって、私のことを男嫌いとあちこちで思われているようだけど、別にそうじゃない。今日もリアルで男性の知人に、そういうことを言われてひっくりかえりそうになった。
性被害を受けたからと言って、必ずしも男性恐怖症になるというわけでは全然ない。被害者だっていろいろなのだ。結婚している人も沢山いる。ちなみに、興味ないだろうけど、いちおう私にもパートナーというような存在はいる。

もしかしたらブログの書き方が悪かったのかな?あちこちついてるコメントを読んでも、どうやら誤解されてるらしいけど、私個人は男嫌い、男性恐怖症というわけではない。全然ない。
女性でも苦手な人はいるし、男性でも好感を持てる人はたくさんいる。人間、結局は中身だ。

ただ、壁にぶちあたるときはいつも、男性の無理解にぶちあたる。(もちろん女性でも無理解な人はいるけれど。)
結局は、現実は、男社会なんだなあ、とつくづく思ってしまう ことがあまりに多すぎるのだ。
権力を握っているのが男性が多いという事実が、まず大きい。
で、弱者の視点にたとうとしない、想像力がない、人の痛みがわからない。そういう男性の権力者が多い。そういう人だけでないのは承知してはいるけれど。
でも、現実、そういう男性に、邪魔とまではいかなくとも、阻まれる。

それがですねえ、、本当にネックなのですよ。

権力者だけじゃない。実際に、何か事件がおきたときの一般の方の反応を見ていても、つくづく、悲しくなる。被害者バッシングしてどうなるの?どんな事情であれ、加害者が悪いに決まってるでしょう。

そういう暗い現実を憂えている気持ちが伝わって、不愉快に思われる方(特に男性)がいたら申し訳ないです。でも理解してくださる男性もいるのはわかっています。もちろん女性も。拍手コメントやコメント、メールたくさんありがとうございます。嬉しいです。



前の記事「渦中に身を置いて」でも書いたけど、そもそも法定義が、  
「同意があるかどうか」という、
すごくすごく大切なところを全く無視
  していて、

「暴行脅迫をもちいた」が前提。
準の罪は「心神喪失・抗拒不能」。



これを立証しないと罪にならないのだ。
そのせいで、

死ぬほど抵抗したのかとか、
完全に意識がなかったのかとか、
そういうことを立証できないと罪にならない
 のだ。


そもそも性犯罪は、目撃者とかがいないのが普通だから、被害者と加害者の言うことが違っていたら、被害者はものすごく苦しみを受ける。言い表せないほどの苦しみだ。しかも、それまでの性経験とか、事件と全く関係ないことまで訊かれる。
※ちなみに日本の法律は、夫婦間のレイプは罪とさえ認めていない。最低だ。
 もっと言うと、男性間のレイプは、強制わいせつとして扱われる。男性の間ではそういうことはありえないとでも思ってるのだろうか。実際はたくさんある。


でも、同じく「暴行脅迫をもちいた」が前提の、強盗罪にいたっては、「死ぬほど抵抗しましたか」なんてことは聞かれない。何か凶器をつきつけて「金を出せ」と言ったということで、あっさり強盗罪として認められる。それまでどういう生活をしていたかなんて、もちろん聞かれない。



おかしすぎる。もう、絶対おかしい。

そういうのをつきつめて考えていくと、結局、
固定観念に縛られた女性観
というところに到達してしまうのだ。(全ての人がそう思っているわけではないとは重々承知しています)


それが間違った認識だということ、どんなに過酷な状況に、被害者が置かれているのか、
世間の間違った認識がどれだけ被害者をより追いつめるのか。

ということを、私の拙い文章力ででも、少しずつでも、情報発信していく必要を感じる。
一人でも、少しでも、理解してくださる方が増えることを願って。

拙い文章だけれど、読んで考えが変わったとか、嬉しいことを仰ってくださる方もいらっしゃるので、元気をたくさんもらってます。ありがとうございます。



で、今日もつくづく思ったこと。
裁判員制度なんて、100万年どころじゃなく早すぎる。

DVも虐待も、正しい知識を持っている人がどれだけいるだろう。特に性犯罪に関しては、まだDVのように市民権さえ得ていないのだ。
「DVは犯罪です」とわざわざ言わなければいけないのなら、性犯罪は、もう、、、頭痛い。絶対無理に決まってる。

二次加害発言する認識の人が、残念ながら予想していた以上に多い現状に加えて、こういう間違った法定義を前提にした捜査がされて、一般市民が裁判するなんて、もう絶対無理。そう思う。


※6/29追記 
性暴力についての、外国と日本の認識の違いについて、以下のサイトをご覧いただければ、よくおわかりになるかと思います。「たぶん概念が違う、でも見習うべき。」
ご紹介いただいた七重さま、ありがとうございます。
七重さまのエントリ⇒「モアスピーチ(対抗言論)としての性教育・本論 」



最後に。気になっていたのでちょっと書く。

【集団準強姦罪について、考えてほしいこと。】

加害者が複数、つまり集団の場合は、集団強姦罪自体が、スーパーフリー事件がきっかけで2004年に新しくできたから、歴史が浅い。
集団準強姦罪の場合は、被害者が意識がない状態なのだから、特に加害者たちが口裏あわせをして被害者がどういう状況だったか嘘をつけば、とてつもなく被害者は厳しい立場、難しい状況におかれる。
状況証拠や、被害者の供述の信ぴょう性から、起訴したとしても、裁判では、加害者が公訴事実を認めなければ被害者は出廷が求められるから、あまりに大きな、ひどすぎる精神的苦痛を受ける。

社会全体がいじめているようなものだ。

しかも罪はとても軽い。報復される恐れもある。

私が知っているだけでも、加害者が否認し続けていて、控訴上告までする、何年でもたたかう、という脅しを、被害者だけじゃなくて、被害者の家族や親族まで巻き込んで、告訴取り下げを要求するのが通常のようだ。加害者は、まるで兄弟なのだろうか、と思うくらい同じ行動をする。

加害者は守られている。とても守られている。自動的に国選弁護人がつくし、それに不満な親バカな両親は、一家の名誉( ふざけるな、と言いたくなるが ) を守るためとかいう名目で、何人もの弁護士をつけてくる。
控訴上告して最後まで争うといったら、加害者の数が多くいればいるほど、裁判の期間は長くなる。つまりそれだけ長く被害者は苦しんで、通常の生活を送れないということを脅されているようなものだ。

性犯罪は、本当に、被害者にとっては不利で、加害者が有利な犯罪なのが現状だ。

そういうわけで被害者は告訴取り下げをしなければ、何年もよりいっそうの苦しみを負うという状況にも追いこまれる。そのくらいしか罪が与えられないのなら、何年も時間をかけて争うというのが耐えられない、というのが現状ではないだろうか。
処罰感情が緩んだとか、そんなのは勝手な決め付けだ。好き好んで、喜んで、納得して、示談や告訴取り下げをするわけではないのだ。
必死の思いで訴えた被害者が、全く正義がかなわないということを知ることで、余計苦しむのを、痛いほど私は知っている。

警察や検察の取調べ、今後の裁判の説明で、あまりにひどい現状を知り、耐えられなくなる、というのが本当のところだと思う。もちろんそれならそれで、その意思を最大限尊重して欲しいと思う。逆に尊重されなければ嫌だ。
わたし自身、訴えるべきとか、告訴は取り下げないで争うべき、なんてとても言えない。それで傷が癒えるわけでもないし、裁判はあまりに過酷だ。よりいっそうの苦しみをおうことも考えられる。

でも、被害者にそういう状況に追い込んでいるのが警察検察司法、そして世間の反応だということは、多くの人に考えてほしいと思う。

そういうのを変えていくためには、警察も検察も司法も、そして世間一般の方々も、認識をやっぱり変えていって欲しいと思う。



※7/11追記
このエントリをあげたのは、6/27です。京都教育大学の事件の世間のあまりの騒ぎを心配し書きました。被害者の方はそっとしておいてほしいだろうと思い、このエントリには大学の名前は書いていませんでした。
しかし二週間たっても、被害に遭われた方を未だに中傷する方が後を絶たず、悲しい気持ちです。
被害者の情報を得ようというキーワードでアクセスされる方も残念ながら未だに毎日いらっしゃいます。そんなに被害者が憎いのですか?どうしてそこまで追いつめたいのですか?あなたのしていることは、イジメです。それも最低な形のイジメです。

悪いのは加害者です。それを適切に処罰できないのは警察も検察も司法も悪いです。ですが、そこで正義が叶わないことを知り、性犯罪へのあまりに理不尽な扱いを知り、力つきた被害者の方を、バッシングする世間の認識が、一番おかしいです。最低です。

「落ち度」を責めたてるあなたは、自分には起こらないこととして片付けたいだけなのではないでしょうか?残念ながら、いつ誰が性被害にあうかわかりません。性別、年齢、全く関係ありません。あまりに性犯罪は多いのです。
どうか、そのことを理解してください。理解できなくても、理解しようとしてください。

自分には起こらないだろう、という考えから、ひょっとしたら自分や自分の大切な人が悲しい被害に遭うかもしれない、そう考えていただく方が増えることで、性犯罪は減らすことができます。
逆に、いつまでも「ヒトゴト」として考えている限り、現状は変わらないのです。
私からの、心からのお願いです。



※参考サイト  裁判員制度における性暴力事件を考える 


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6月4日 最高裁・法務省との意見交換会について

裁判員制度での性犯罪の問題点について、6月4日に行われた、
被害者・支援者の方々と、最高裁・法務省等との意見交換会の内容が、
正式にアジア女性資料センターさまの方で、サイトに掲載されましたので、お読みいただければと思います。

裁判員制度問題:その後のご報告

気になっている方が多いと思うので、これだけまずアップします。


ぜひこちらのサイトもご覧ください。
※参考サイト  裁判員制度における性暴力事件を考える  

渦中に身を置いて

なんだかどんどん話がずれてきているような気がするとともに、その理由とか問題点が、だんだんわかってきた。ような気がする。

いろいろな立場のかたからメールやコメントをいただいた。正直読むのも辛いものもあったけれど、渦中に身を置いてこそわかったこともあるので、感謝しています。本当です。最初は本当に、からかってるのかと思った。実際そういうのもあったけれど、どうやら真面目に答えているようだ、ともわかった。

最初にここをはっきりしておかないと、ややこしいことになりそうなので、言っておく。
まず、私を「性犯罪被害者の代表」みたいに思うのはやめてほしい。
言っておくけれど、私は、誰とも連携していないし、意見をまとめているわけでもない。
私のように思う被害者もいれば、そうでない被害者もいるだろう。どんなことに対しても、そうだと思う。

この問題に関しては、わたし個人の体験から発言している。それは性暴力への認識だけじゃない。
暴力全体に関しての考えだ。

高みの見物で「これだから性犯罪被害者は」みたいな物言いをするのは、二次加害をする人たちの言い分とそっくりだ。そんなつもりはないかもしれないけれど、同じだ。
改めて、性犯罪被害者としては、その部分だけを、都合のいいようにしか解釈されていないのを感じて、悲しい。

批判するならすればいい。だけど、きっちりと読んだ上で、してほしい。
野次馬根性の斜め読みで、勝手な発言をしないでほしい。
私はいい。傷付かない。傷付いても、自分でどうにかできるほどは、回復している。だけど、あまりに傷付いていて、何の救済もないのが、性犯罪被害者たちだ。
あくまでも、批判する場合は、私個人に対して、お願いします。


今思うと最初から言えばよかったのだろうけど、このブログが、他の被害者の方にとって、トリガーとなるのが嫌だった。だから首を突っ込む気はなかったのだけど。結局は、根本的には問題は同じだ。
根は深い。思ったより深い。裁判員制度、危険すぎる。というか、あまりに性暴力に対して無理解すぎる。

なので、もう一心に、理解をよびかけていくしかないのだと思う。
それが、他の被害者の方にも、少しでも回復の手助けとなれば、本望だ。だけど、読んで傷付くこともあるとおもうから、そのへんは、自己責任で、お願いします。
わたしは必死で動くから、そのへんは、ごめんなさい、自分で管理してください、としか言えない。


裁判員制度の性犯罪の扱いに問題があるということで、いろいろと活動しているうちに、その、根本的問題に何度もぶちあたった。
それは、結局のところ、世間は、性暴力を、性の面でクローズアップして、やっぱり性行為の一種としてしかとらえられていないということだ。「暴力」でしかないのに、その前についている「性」のところしか見られてない。

そして、「同意があるかどうか」が問題なのに、法定義は「暴行脅迫をもちいた」だ。
準の罪にいたっては「心神喪失・抗拒不能」で、そのためにどういう捜査がされて、被害者が苦痛をうけるかというと、どのくらい抵抗したのか、死ぬほど抵抗したのか、本当に抵抗不能だったのか、みたいなことを立証しないと、罪にならないのだ。
おかしい。どう考えてもおかしい。

で、じゃあなんでそういうふうになってて、それが当たり前みたいになってるか、っていうと、結局のところ、女性の嫌悪感を大事にしない国なんだ、ってことだ。わかりやすくいうと、セクハラとかもそうだ。
だから「レイプするくらいが元気があっていい」を少子化問題で発言するバカ大臣がいたり、
公の場じゃないとはいえ「男は黒豹」なんていうアホ総理がいたりする。(・・・黒豹に失礼だろう。ってつくづく思う)



まず、私は、このゲームはとても不快感をよびおこすものだから、ダメだ。って言っている。
で、その不快感は、私が性被害を受けたからじゃなくって、女性として嫌だ、って言っている。
暴力なんだ、って言ってる。

でも、直接的な危害はないのだから見逃せ、性暴力を受けた辛さはわかるけど、男だからしょうがない、ポルノなんだ、実際に性犯罪はしないから大丈夫。
って感じで答えられている。


ここで、はたと気がついた。全然、暴力という認識がないことだ。

でも、じゃあ、あえて、性犯罪被害者として、私がわかることを言うのなら、性暴力は、暴力でしかない、ということだ。「性被害への認識のずれ」でも書いたけれど。

レイプだけじゃない。痴漢、ストーカー、レイプ、監禁、妊娠、中絶。
女性なら、少なくともどれか一つは身近に感じて嫌悪感を抱くものだ。でも、それが、本当にわかっていない。
性暴力ゲームと書かずに、暴力ゲームと書けばよかったと、今後悔している。
だって、性暴力の、性の面だけクローズアップされて、暴力、ってことが全然わかってもらってない。

陵辱系の中では軽いほうだとか、あんたはゲームのことを知らないとか、アダルトゲームをしないとわかんないとか、そういうことはちっとも私の心に響かなかった。

だって、ストーリーを聞いただけでもう充分、嫌悪感を抱く。調べようとさえ思わない。ちょっとは調べたけど、それ以上は無理。

なんでその不快感、嫌悪感がわかんないんだろう、ってそこがまずわかんなかった。だから、女性を対等な存在として、ひとりの人間として、尊重しようというのがないんだ、って言った。その意識が全然ないから、人権の問題だよ、って言ってたんだけど。

表現の自由、っていう、こまっしゃくれた言葉を皆が使って、にらみあってる状態だから、
人権っていうすごくシンプルなことも、やたらと複雑なことにしようとされた。話が全然かみあわなくて、すごくとまどってたけど、ようやくわかった。

しかも、反対しようという勢いなのかなんなのか、ちゃんと文章も読んでない人が多い。
読んでる人が、カッとなった段階で、こいつは推進派だ!反対派だ!って勝手に決め付けられて、なんか勝手にコメントつけられたりした。しかもあちこちで。
それだけ、真剣で切実なんだろうけど、それは悪いけどこちらもそうだ。

で、面倒なことに、この問題に乗り出したのが、山谷えり子氏たちということもあって、このゲームに反対する人も、擁護する人も、どっちも、規制についてすごく敏感になっている。
「表現の自由」の問題として論じられてしまっているのは、出てきた人の結果だ。余計こじれているように私は思う。
で、このゲームには反対。規制も反対。
   このゲーム擁護。規制も反対。
この二つが、知らない間にタッグを組んで、対抗しようとしているから、何だかおかしなことになってるんではと思う。

何でも規制するのはどうか、って感じで、両方が警戒しあってる。
私が発言すると、規制推進派!!って勝手に決め付けられて、敵扱いされたのは、その証拠だろう。
で、私の言うことはわかるけど、って私に賛同した上で、でも規制反対派だから、っていう立場を必ず明確にする。
で、何度も私は、規制を推し進めたいわけじゃない、って、本当に何度も何度も言わなきゃいけなくなった。
でも、言えば言うほど、話がどんどんずれてきちゃったように思う。

そうじゃなくて、規制うんぬんじゃなくて、私はただ、こことここはダメでしょう、って言ってる。
そう言うと、今はそんなことじゃなくて、大きな問題になってるんだから。って多分怒ったり馬鹿にする人がいるだろう。
なんでゲームがだめで、他はいいのかとかも、詰問調で問われてる私。(それについてはある程度考えがまとまりました)
で、源氏物語まで規制されてもいいのか、とかも言われる私。

そこまで一度に考えないと、発言しちゃだめなの??ってふつうに疑問に思う。
理想論かもしれないけど、少しずつ、各自、ここは守りたい、というところを、言っていけばいいだけだと思う。あいまいに「規制はどうかと思う」なんて言ってるだけから、どんどん余計に、「表現の自由」の問題にすりかわっていっている。

無責任、といわれればそうかもしれないけど、正直、私は、規制は出たとこ勝負になるのでは、って思う。どうせ最初から正しい線引きなんてできはしないんだ。というか、ごめんなさい、今は一番にそれを考えられる状況じゃないです。

もちろん、法的規制じゃなくて、自主規制で全部まかなえるんなら、それが一番いい。
でも、それができてないでしょう??
問題になってからひっこめる、っていうのをやってる限り、いつまでたってもだめだと思う。

だから、やっぱり、これが問題視されたのは、時代の流れというか、くるべき時が来た、というようにも思えるのだ。

続く(予定)


※参考サイト  裁判員制度における性暴力事件を考える 

規制について

いろんなところからやってくるお客さんから、規制推進派とか色々言われだしてるので、規制について書こうと思う。
何度も言っているけど、私は規制推進派ではない。だが、一部は規制する必要があると思っている。

特に今回のような性暴力ゲーム。
性暴力について全く理解していないというのも不快だけれど、女性をモノ扱いして、男性が支配するというのは、性暴力そのものでしかない。
しかも妊娠、中絶とは、あまりに感覚がおかしすぎる。女性を何だと思ってるのだろう。
フィクションだからいいとかアニメだとかいうけれど、例の性暴力ゲームは、男性をターゲットにしていて、男性が主体として、ある程度決まった筋書きとはいえ、「攻略」してすすめていくというのが、かなり気持ち悪い話だと思う。漫画や小説とかならば、作家が書いたのを読むだけだけれど、それとは質が違うと思うからだ。

さらに言えば、私の友だちに、いわゆるアニメ顔、アニメ声の子がいる。(※ご本人の承諾を得たので、書く。)
で、アニヲタというかマニアによく好かれていて、そのことでずっといろんな嫌な思いをしていた。
また実際優しいし親切だし、おとなしそうに見えるからか、女性恐怖症気味の男性も彼女のまわりにはうろちょろすることが多く、結局アニメオタクだと判明したりとかいうことが、すごくよくあった。彼女が言うには、自分を好きというよりも、自分の世界にあてはまる女性が好きというのが気持ち悪いと。それはそうだと思う。

そういうことでずっと本人も悩んでいたのだが、すごく傷つくセクハラを彼女は職場で受けた。
職場の男性たち数人が、何やら不審な動きをしはじめたのがきっかけだった。仲間同士で暗号のようなことを言い、それで、彼女を見てニヤニヤしたりしていたという。
不快に思いながらも、何なのかわからず数ヶ月だった。
で、その男性たちも油断していたのだろう、偶然判明したことによると、
何かパソコンに、アニメゲームのようなものを入れていて、そのキャラを彼女に似たものに選んで設定して(聞いた話だし彼女自身もよくわかってないから曖昧だが)、交代してなのかよくわからないが数人で楽しんでいたらしい。
一人、気持ち悪いオタクがいて嫌だ、とは聞いていたけれど、その男性だけでなく、同僚だと思ってた男性、上司だと思ってた男性も一緒になってそういうことをしていたのに、彼女はものすごくショックを受けた。

そりゃそうだと思う。
抗議しても、気のせいだとかとぼけ、証拠となるものは消され、彼女に残ったのは傷だけだった。

たいしたことないだろうと思うのはあなたの認識違いだ。彼女は悩み、泣き、結局、退職の道を選んだのだから。他にもセクハラはあったけれど、決定打となったのはそのことだ。
だから、生身の女性は傷つかないというのは間違いだ。少なくとも、私の知っている、いわゆるアニメキャラに不運にも似てしまった女性は、勝手に重ねられておかしな妄想をされるという苦しみを受けている。

また、児童ポルノは、性虐待であり大人による搾取にしかすぎないと私は思う。それに関しては、極めて甘いので、もう少し厳しくする必要があるとは思う。
最近ではこういう事件を聞いたけど、似たような事件は実はすごく多い。
子どもだからわからない、子どもだから恥ずかしがらない、そういう勝手な決め付けで、子どもを金稼ぎの道具にする親は多い。
でも、子どもはそのときはわからなくても、あとになって大きなショックを受けるのだ。だから、子どもがいいと言ったとかいうのも、言い訳にならない。
テレビや映画で、子役が性的なシーンを演じるのも、個人的にはかなり疑問に思う。肝心なところを見せなければいいとかそういう問題じゃないと思う。


本来は、このブログは被害者の方、性犯罪に理解のある方、裁判員制度の問題や性犯罪に関して危機意識を持つ方、を対象としていたはずなのだが。
例の問題を書いてから、みょーに色んなお客さんがくるようになり、異常にアクセスが増えた。

実はこの性暴力ゲームのことは、腹立つ、とは思いながら、最初は首を突っ込む気はなかったのだ。
だって忙しいから。まずは裁判員制度から性犯罪を外そうということで、結構必死に動いているわけである。

ところがである。
これはまずい、と思う事実が判明したので、黙っていられなくなったのだ。

昨日まで迷っていたのだが、もうここまできたのだから、書こうと決めた。

被害者が見たら倒れる、変なコメントがくること必至、で書くことをためらわれていたのだが、ここまで多くの人にこのブログの存在を知られたなら、いっそ書いたほうがわかりやすいだろう。

※以下は、フラッシュバックする内容です。私は本当に数日具合が悪くなったので、被害者の方は見ないほうがいいと思う。

続きを読む

【ご注意!! 被害者の方は読まないでください 】日本製性暴力ゲームについて

6/18 追記

※被害者の方にとってはコメント欄に、不快な内容が含まれていますので、読まないようにしていただいたほうが精神衛生上よろしいかと思います。

※被害者の方の心情を配慮しコメントTBについての方針を書いてあるのは皆さまご承知の通りだと思います。それでも、たちの悪いコメントが相次ぎましたので、いったん承認制とせざるをえませんでした。
※ところが承認制としたことで、公開されないだろうという悪意を感じられる、下劣としか言いようのないコメントが相次ぎましたので、いったん公開することにいたします。

※拍手、拍手コメント、また個別に賛同メールをくださった方々、ありがとうございます。
 全て目を通させていただいています。
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(以下本文)


うんざりするほど、的外れな議論がなされているようなので、私の思っていることを書こうと思う。

表現の自由という問題では全くない。人権の問題である。

まず、製作した側の問題点であるが、

●レイプが犯罪だという認識がない。
 何度も言うとおり、性行為の一種では全くなく、暴力であり、犯罪である
 女性の尊厳、人権を踏みにじる暴力犯罪である。

●根底に、女性蔑視がある。
 女性と男性が対等であるという当たり前の人権意識が全くない。
 女性をひとりの人格をもった人間という扱いをしていない

上記のことがしっかりと意識されていれば、
男性が女性に、レイプを「し」、妊娠「させ」、中絶「させる」ということ自体をゲームとして製作するはずがない。


そして、このゲームを買い、楽しんでいる(いた)人たちは、

●レイプを単なる性行為の一種として考えている。レイプが犯罪という意識がない、もしくはなくなる。

●誰と性交渉を持つかを選ぶ権利、妊娠するという権利、中絶するという権利、
 そういう女性の性に関する自己決定が、女性側にあるという当たり前の認識を持つことができていない、もしくはできなくなる。

これを「ゲーム」として、疑似体験し楽しむこと自体が、レイプが犯罪であるという意識、自分がしていることは女性蔑視なのだという意識がどんどんなくなることが目に見えている。


人権という、とても大切に真剣に考えなければならないこと、人を傷つける犯罪をしてはいけないという当たり前のこと、それを、理解していないからこういうことになるのだ。

だから、問題なのだ。
男性側の勝手な妄想欲望が、女性の意思をかんがみることなく、暴走しているところが、おかしいのだ。

日本は、男性と女性が対等であるというあたりまえの人権意識が、やはり残念ながら低い。諸外国と比べれば歴然としている。


また、レイプを軽く考えている男性は、いわゆるレイプもののメディアの「最初は嫌がっても最後は喜ぶ」という、事実と全く違うことを信じている。そういう男性はとても少ないと思っていたが、残念ながらそうではないのかもしれないと、一連の騒動で思った。

間違った認識だということに、いい加減気付いてもらいたい。


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6/17 追記

コメントは、まず名前をお書きください。HNさえ使わずコメントするのは、たいへん失礼です。そこにまず人権意識、相手を尊重する姿勢が見られません。また、このブログでの、コメントについての趣旨は右記のとおりです。それを逆手に取り、侮蔑するようなコメントをされる方には、公開しないだろうという甘え、悪意が感じられます。まさに、人権意識がない方としか思えません。

わたしは、このゲームの問題点を、表現の自由だとか、フィクションだとか、そういう問題として議論するつもりは全くありません。フィクションだから、表現の自由だから、という趣旨で反論されること自体おかしいと思っています。すりかえとしか思えないからです。

根底に根強くあるのが、人権の問題だ、ということを主張しているのです。
だからこそ、人権後進国、男女不対等をよしとする男社会がはびこる日本でこのようなゲームが作られ、流通したのです。
「おかしい」という声があがったのは日本ではなく、まず他国で問題になったことをどうお考えなのでしょうか。

規制に反対されるのはご自由です。私自身も、規制推進派の方々には問題があり、もう少しまともな感覚の方に規制の声をあげてほしかったとは思っています。

ですが、一連の騒動を見ていると、規制への反対を「表現の自由」以外の言葉でしか反論できないのは、ご自分の言葉を持たない方ほど多いように思えてなりません。表現の自由について深く考えない人ほど、簡単に「表現の自由」と言っているようにしか見えないのです。
表現の自由というならば、その表現の内容自体がなぜ問題になっているのかを、そこに考えが至らないのはおかしいとは思われないのでしょうか。

表現の自由について深く考えている、という自負がおありになるならば、きちんとした、ご自分の言葉での反論ができるはずです過去にも起きた、表現の自由と差別意識の問題についてどの程度ご存知なのでしょうか。そして、それらが時代の流れに沿って、修正されてきたことをどうお考えなのでしょうか。

このゲームの内容が問題となっているのですから、表現の自由として反論されるならば、レイプについてどうお考えなのか、男性と女性が対等であるという人権意識についてどうお考えなのか、それを明確にした上で、ご自分にとっての表現の自由はどういうものなのか、ご自分のお言葉で説明なさってください。

それができないコメントは、一切お断りいたします。

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6/17 さらに追記

人を犯罪者扱いして、という反論がありますが、そのようなつもりはありません。
ですが、これをよしとする価値観ならば、感覚が麻痺していく可能性はあると思っています。
実際に、レイプものの「嫌がっていても女性は最後には喜ぶ」というのを本気で信じている男性も少なからずいるのです。

私がこの記事を書いたのは、前の記事につながっての流れとなりますので、そちらをお読みいただければ、少しは趣旨がご理解いただけるかと思います。初めて来られた方ほど過剰反応されているように思いますので、できればそれをお読みになっていただけませんか。

私は規制を推し進めているわけではありません。ですが、このゲーム自体だけは問題だと思っています。これが小説や漫画であれば、よくあることとして、快くは思わなくても、ここまで問題とは思わなかったでしょう。単なる空想と、ゲームとして疑似体験することは違うと思うからです。
また、性犯罪はゲーム感覚で行っている犯罪者も数多くいるから、このゲームに対しては、どうしても反対です。実体験として私が知っている話を否定されるならば、こちらをお読みください。http://www.n-seiryo.ac.jp/~usui/news2/2009/kyokyou_u_gang_rape.html
更に付け加えて言うならば、私は性被害に遭っていなくても、このゲームには反対します。あまりに女性をバカにしていると思うからです。

また「規制」という言葉が出ると、ほぼ自動的に、言葉は悪いですがなんとかの一つ覚えのように「表現の自由」と一斉に反対を唱えていらっしゃるのに、違和感を覚えるのです。
規制に反対するのならば、本当にとめたいならば、規制の背景にあるものを認識した上で、その背景に対して、反論しなければ意味がないのではないでしょうか。

そして、「表現の自由」と言われるならば、どこまでが許されてどこまでが許されないのか、そこが問題となっているわけですから、その点についてご自分のお考えを書かれている方が見当たらないのが不思議です。
なので、過去に起きた、表現の自由と何らかに対する差別の問題を、どのくらいご存知で、それがどういうふうに問題になりどう決着がつき、そして今に至っていることについて、どうお考えなのかも、おたずねしているのです。
あとは個別にお答えいたします。
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6/18追記

個別にお答えするというのは、記事の内容、そして追記を読んだ上でのコメントという趣旨で書きましたが、残念ながらそちらに該当されない方については、一切お断りいたします。

今後のコメントについても、日本語読解能力、対話能力にかけているものも、同様とさせていただきます。

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6/19追記

繰り返し書いてあるのにかかわらず、全く伝わっていないようなので、残念です。
いつまでも平行線となるのは、こちらもいやですので、もう一度こちらにまとめます。
コメント・メールについては、以下のことをしっかり読んでいただいた上で、①から⑥の質問にお答えの上、お書きください。
何度かに分けて書いていただいても結構ですが、番号を明記の上、お願いいたします。


まず私の立場を再度明確にしますが、上にも書いてあるとおり、 私は規制を推し進めているわけではありません
私自身も、規制推進派の方々には問題があり、もう少しまともな感覚の方に規制の声をあげてほしかったとは思っています。

規制に反対されるのはご自由です。ですが、本当にとめたいならば、規制の背景にあるものを認識した上で、その背景に対して、反論しなければ意味がないのではないでしょうか。

私がこの記事を書いたのは、前の記事につながっての流れとなりますので、そちらをお読みになってください。 初めて来られた方ほど過剰反応されているように思います。

更に付け加えて言うならば、私は性被害に遭っていなくても、このゲームには反対します。痴漢やレイプだけでなく、妊娠、中絶ということも盛り込まれていることに、嫌悪感を感じます。
女性の性の自己決定権だけでなく、生命自体も軽く考えているように思います。

このゲームの問題点を、表現の自由だとか、フィクションだとか、そういう問題として議論するつもりはありません。
根底に根強くあるのが、人権の問題だ、ということを主張しているのです。
だからこそ人権後進国、男女不対等をよしとする男社会がはびこる日本でこのようなゲームが作られ、流通したと考えています。
したがって、私の考えを「間違っている」というふうに正したいのであれば、以下のことにお答えいただくのが有効かと思います。

①「おかしい」という声があがったのは日本ではなく、まず他国で問題になったことをどうお考えなのでしょうか。

②表現の内容自体がなぜ問題になっているのかを、考えないと解決に結びつかないと私は思いますが、それについてはどうお考えでしょうか。

③レイプ、妊娠、中絶についてどうお考えなのか、また現実にあなたの周囲では男性と女性が完全に対等なのか、思いつく具体例をあげてお書きください。



「規制」という言葉が出ると、ほぼ自動的に、言葉は悪いですがなんとかの一つ覚えのように「表現の自由」と一斉に反対を唱えていらっしゃるのに、違和感を感じます。「表現の自由」について深く考えている、という自負がおありになるならば、きちんとした、ご自分の言葉での反論ができるのではないでしょうか。

また表現の自由と、差別の問題は、今回のように、必ずといっていいほど、衝突しますが、何度も書いているのに、そのことに全く触れられていないのが不思議です。

なので、次のことにもお答えください。
④過去に起きた、表現の自由と何らかに対する差別の問題の対立について、あなたが知っている具体例を出してください。
そして、なぜ問題になり、どのように決着がついて、それが現在にどう反映されているのか、あなたのお考えをお聞かせください。

⑤「表現の自由」と言われるならば、どこまでが許されてどこまでが許されないのか、そこが問題となっているわけですから、その点についてご自分のお考えを書いてください。

⑥その上で、「ご自分にとっての表現の自由」はどういうものなのか、ご自分のお言葉で説明なさってください。

性被害についての認識のずれ

以前の記事

抵抗できない状態の女性に性行為を強いること自体が、女性の人権を無視した、尊厳を踏みにじる行為だ。
自分の同意なく、性行為を強いられるということは、自分の体、心がモノ扱いされているということだ。自分の体なのに、自分の意思は無視され、他人の思うがままにされているということだ。
それが、どれだけダメージを与えるものなのか、わかっていなさすぎる。いや、わかろうとする気さえない人が多すぎるのだと思った。
悲しいが、これが現実だ。改めて、どれだけ性犯罪が世間に理解されていないのか、痛感した。

と書いた。

そのことにからめて、なぜ、性被害のひどさが、理解してもらいにくいのかということを、書こうと思う。
通常の性行為と、暴行脅迫をもちいた性行為と、何が違うのかわからないという、男性の声を多く聞く。(残念ながら、法曹界にも多く存在する)

それを聞いたときは、倒れるかと思うくらいの、頭をなぐられたかのような衝撃を受けた。
即座に「まったく違います。殺人です」と答えたが、本当に残念なことに、男性にはなかなかわからないようなのだ。(もちろん、わかってくださる男性、わかろうとしてくださる男性もいらっしゃるが、残念ながら少数のように思われる)

私もそうだが、被害者はみな、殺されると思ったと言っている。そう、殺人に限りなく近い、暴力なのだ。
よく、「魂の殺人」「心の殺人」という言葉を聞く。
でも、私にとっては、だけれど、言葉が抽象的過ぎるのか、どこか漠然としていてぴんとこない。

被害に遭う前の私も、その言葉は聞いたことがあるが、よくわからなかった。
そして、被害に遭ってからも、逆に、感覚がまひしすぎていて、自分のことを冷静に見ることができなかったからか、よくわからなかった。

ただ、「たましい」「こころ」(ひらがなの方が、わたしにはしっくりくる) という、抽象的すぎだけれども、とても大切なもの。自分にとって大切なもの

それがなくなってしまった。

自動的に消滅したとか、自分の意思で消したということではないのだから、たしかに、「殺されてしまった」に近い表現かもしれない。
そして、そのことを、現実、つまり事実だ、と、認めたくなかったのかもしれない。

だけど、わたしは、今、生きている。何度も死のうとしたけれど、でも、生きている。
「こころ」がなくなったわけでもないし、「たましい」がなくなったわけでもない。
でも、なにか「大切なもの」「当たり前だと思って信じていたもの」がなくなってしまったのは事実だ。

性被害の場合、自分の世界そのものが、破壊されてしまうと言っていいほどの、深刻なダメージを受ける。

                        「トラウマの医療人類学」 宮地尚子 著 p180 より引用

性行為を強制するとき、言うことをきかなければ命に保証がないとか、大けがになるかもしれないとか、加害者はさまざまな脅しをかける。言葉ではなくても身体的・心理的な圧迫感によって同様の効果を与える。抵抗する被害者には、実際に脅しが本当であるということの片鱗を見せるだろう。それに対し、被害者はまず警戒の生理的反応を起こす。交感神経が高まり、直面した状況に注意が集中し、痛みその他が感じられなくなるなど、知覚に歪みが起こる。「闘争か逃走か」の姿勢に入り、結局どちらも成功しなかったとき、「人間の自己防衛システムは圧倒され、解体に向かう」。生理的な覚醒度、感情、認知、記憶が、相互の統合を失い、それぞれが変容を起こす。

 ※強調は多面体による。

ここに書かれてあるように、心も体もバラバラになるほどのダメージを受けるのだ。
メッセージに書いたこと以外にも、たくさんたくさん嫌なこと、悲しいことがあった。

家族には誤解されたまま、縁を切られたこともあった。
大切な友人はあまりのことにダメージを受けすぎて、友人の方がつぶれてしまいそうだったから、私から離れた。
働きたくても働けなくて、誰にも助けてもらえなくて、追いつめられて、苦しかった。
PTSDがひどくて、「ふつう」に暮らせなくて、たくさんのことをあきらめなくてはならなかった。
あきらめたくなかったことも、気力と体力を振り絞っても、二次被害三次被害で、より辛い思いをするだけで、悔しかった。
社会不信、人間不信、無力感、絶望。
とても孤独で、自分を生きる屍だと思って辛かった。
「ふつうでなくなった自分」と思うことが、すごく苦しかった。
生き地獄としか言いようのない苦しみで、殺されていたほうがましだったと、何度考えたかわからない。
何度も、おさえきれない激しい憎悪の感情がわきでてきて、本気で殺人計画をたてようと思ったことさえある。

こういうことが、もしかしたら「自分にとって大切なもの」「当たり前だと信じていたもの」を失った、ということなのかもしれない。

当時はただ苦しんでいるだけのように思えた。怒りと悲しみを抱えて、何もできない自分を、とても情けないと思った。どんどん退行しているように思えたのだ。
でも今振り返ってみると、わたしは、自分の内面は成長し続けていたと思う。
もちろん、今ももちろん、ときどき後戻りはしてしまうし、ストレスには弱すぎるくらい弱いし、事件を思い出すきっかけがあると、具合が悪くなったりという後遺症もあり、それを考えると、恨めしく思う気持ちは消えてなくなったわけではない。

でも、やっぱり「魂の殺人」「心の殺人」という言葉には、若干の違和感を感じている。
わかりやすくいうとそうなのかもしれないが、なにかピンとこない。
わたしの「こころ」までは、今は、という限定つきだけれど、加害者の思いどおりにはなってはいないからだ。

だが、矛盾するようだけれども、わかりやすくいうと、やはり性被害は、「魂の殺人」「心の殺人」なのかもしれない、とも思うのだ。
自分を生きる屍としか思えなかったときは、残念ながら、加害者の思惑通り、ひどい苦しみ、生き地獄のような苦しみを味わっていたからだ。
それぞれにとっての言葉の意味は違うかもしれないが、心を破壊的に傷つけられるのは、まぎれもない事実だ。


話を戻すが、通常の性行為とは何が違うのかというと (ため息をつきたくなるけれど)、
まったく違う、としか言いようがない。
性行為という意識は、全くない。
暴力だ。殺人にかぎりなく近い、ひどい、ひどすぎる「暴力」だ。そう、「暴力」の一言につきる。

だが、事件としては、性暴力である。受けた被害は、性に関する被害である。
ゆえに、被害者は、事件のことを語るとき、性に関して加えられた暴力として、語らなくてはならない。
そこに苦しみが生まれる。
ふだん使わない言葉、言いたくもない言葉を口にしなくてはならない。
何をされたか、自分の口で話さなくてはいけないのだ。

性行為の延長などで全くない、全く違う、という認識がこちらにはあるのに、
周囲の対応は「性」に関する被害を受けた、というものだ。そこに、ギャップ、戸惑いを感じる。
一方的な暴力であり、性暴力であることは事実ではあっても、性的行為の「一種」では全くないのだが、どこか性行為の延長としてとらえられている
ような気がしてならなかったのは、残念ながら気のせいではなかったのだと、今回の厚い壁で、改めて思った。
そのとき(事件直後)は反応さえできないほど傷つきすぎていたのだろうけれど、あれは、違和感、不快感だったのだ、と今は思う。

ちょっとうまくまとめきれないので、似たようなことを前に書いたことがあるので、そこから引用する。

被害者にとっては性行為などではなく、ただただ、何をされるかわからない、殺されるという死を意識した恐怖です。殺人にかぎりなく近い暴力です。
でも、性に関する暴力なので、やはり、知られたらどういう扱いをうけるかわからないという恐怖がついてまわります。
そのため、被害直後からずっと、誰に何をどう伝えればいいのか、どこに行ったらいいのか、混乱と恐怖の中におとしいれられます。適切なサポートを受けられるという保証がないため、警察や病院へ行っても、より辛い思いをするのではないか、と、ひとり苦しむことになるのではないでしょうか。
なので、病院にも行けなかったり、警察に行けなかったり、決死の思いで行っても、警察の過酷な取調べで耐えられず力つきてしまう、ということになるのではないでしょうか。

自分にはありえないことと思っていたことが自分の身に起こることで、どうしてだろう、どうして自分がこういう目に遭ったのだろうと、こたえの出ないこたえを求めて、被害者は、自責感、罪悪感に苦しみます。
あのときああしていれば、こうしていれば、等、すべて加害者の責任なのに、どうしても自分を責めてしまいます。



「羞恥心等のために被害を訴えでない女性が多い」という表現をあちこちで見聞きする。
でも、羞恥心というと、どこか軽い感じの言葉に聞こえるのだ。
簡単に言えばそうかもしれないが、羞恥心というと、恥じらいというか、どこか軽いイメージを持ってしまうのは私だけだろうか。恥じらい、という言葉自体も、なにか男性目線を意識した言葉のように思えるのだ。
羞恥心、という言葉自体、どこか「男性から押しつけられた価値観」が含まれているような気がする。

※以下、フラッシュバックする可能性の内容が含まれていますので、体調にご留意の上、読むかどうかご自分で判断なさってください。 

続きを読む

被害者の精神症状が理解できる? 「裁判員が“にわか精神科医”になると怖い」と不安を募らせる裁判官 

blogについての説明

まだ、「これまでの経過」や「6/4最高裁・法務省との被害者・支援者側との意見交換会」について、まとめきれていない、書けてないので、初めてこのblogのことを知られた方にはわかりにくかったと思うのですが、

やはり、性犯罪は裁判員制度の対象外にするしかない、という結論に達し、そのために、被害者当事者からの情報発信の必要性を感じ、このblogをたちあげました。
また、被害に遭われた方へのメッセージも伝えたいと思い、「あなたは悪くない」というタイトルにしました。長い時間がたった私でも、今でも、何度でも、言ってほしい言葉なのです。

わたしに起きたことは、もう、どうにもなりません。それを認めるのは、とても悲しく、惨めでさえありました。そう思えるようになるまで、とても、とても、長い時間がかかりました。
ですが、わたしに起きたことは変えられないけれど、他に被害に遭った方が、同じように、もしくはそれ以上に、嫌な思いをし、理不尽な苦しみを受けるのは、あまりに辛すぎます。
なので、法整備等が、後戻りするようなことがあってはならないと思っています。そのために、今後も、活動していきたいと思っています。どうか、よろしくお願いいたします。



それでは、本題です。
昨日、「これは被害者にとってはどうなのでしょうか」と心配された方から、ある新聞をFAXで送っていただきました。見出しはこうです。
「精神鑑定『尊重』か『参考』か 混乱必至  被告の刑事責任能力判断 裁判員には難しく・・・」  
読んで、非常に考えさせられるところが多かったです。

タイトルはちがいますが、同じ内容が、ネットではこちら↓ で確認できるとわかりましたので、記事にしようと思いました。
焦点・FOCUS=裁判員裁判 精神鑑定の扱い迷走 質のばらつき一因 “素人感覚”議論の的ずれ (西日本新聞 2009年6月9日掲載)


(一部引用)
▽刑法「納得できぬ」

昨年11月、東京地裁であった裁判員裁判の模擬裁判は、母を殺害したとして起訴された被告が鑑定でうつ病と診断され、責任能力が争われたという設定。評議では「うつ病がどの程度影響を及ぼしたか」が主題になるはずだった。

 ところが、裁判員役の市民は「うつ病なのに人を殺せるだろうか」と鑑定結果を信用せずに議論を始めてしまった。
 「鑑定を考慮しない議論は、期待される市民感覚ではなく、素人感覚」と傍聴していた裁判官は頭を抱えた。「裁判員が“にわか精神科医”になると怖い」と不安を募らせる裁判官もいる。
 別の模擬裁判では、裁判員役が「責任能力がなければ、人を殺しても無罪になるのは、やはり納得できない」と語り、裁判の前提となる刑法の規定に疑問を呈した。

 ベテラン裁判官は「責任能力の判断はやはり難しい。裁判員裁判の準備が整ったとはとても言えない状態」と漏らした。


わたしがこの記事を読んでまず思ったのが、被害者についても「にわか精神科医」となった裁判員によって、勝手な判断を下されることが、とても心配だということです。

アジア女性資料センターさまで掲載していただいたメッセージ(※一部生々しい表現があるため、全文読む際には、フラッシュバックの可能性にご留意ください)  にも書いたとおり、
私は、大勢の傍聴人がいる中、一般市民である裁判員に、見られたくない証拠を見られ、あれこれ質問されることが、被害者への二次加害となりかねないという懸念を強く抱いています。
司法制度そのものを大きく退行させるようなものだとも思っています。

性犯罪の被害者は、特殊な心理状態に陥り、周囲が予想する行動と矛盾しているような行動をとったりします。
これは、何らかのレクチャーを受けないと理解不能なほど、心身へのダメージが深刻だということでもあり、また、やはり世間の「常識」は、何らかの「神話」にもとづいているということでもあります。
先の記事でも書いたように、性犯罪の場合、被害者の「落ち度」を探し出して責めたてるのはその典型ですね・・・。

(再度引用)
評議では「うつ病がどの程度影響を及ぼしたか」が主題になるはずだった。
ところが、裁判員役の市民は「うつ病なのに人を殺せるだろうか」と鑑定を信用せず議論を始めてしまった。



ここを読んで、ぞっとしたのは私だけではないと思います。
だんだん世間に認知され理解がすすんできた「うつ病」でさえ、勝手な憶測と思い込みで議論されているのです。鬱は攻撃性と密接につながっています。よそへ向けるべき怒りを、ためこんだ結果、自分に向けてしまう、つまり自分を攻撃の対象とするために、鬱になるのですから、症状によっては、他人への怒り、攻撃へと転じるのは充分考えられるはずです。
ですがこう判断できるのも、わたしが被害に遭い、鬱を経験したから、ある程度の知識が身に付いたわけで、鬱病を理解していない方には、確かに難しいのでしょう。

では、それ以上に、理解が全くといっていいほどない性被害については、いったいどういった疑問がおこるのか。 本当に恐ろしいとしか言いようのない事態です。
性犯罪への偏見、被害女性の落ち度論は言うまでもなく。
被害後の特殊な心理状態、症状への理解がないため、被害者叩きが評議でも行われ、結果、判決へとなると思うと、
もう本当に、絶対に裁判員制度には性犯罪は無理だ、とひしひしと思います。

(再度引用)
「裁判員が“にわか精神科医”になると怖い」と不安を募らせる裁判官もいる。



こちらの現場の裁判官の方は、とても率直に発言されていると思いました。
妥当な判決を下そうと、真っ当に職務を遂行されるのには、精神医学の知識等の特殊な要素がからめば、難しいということだと思います。
特殊な知識がある程度ないと、まともな判決に結びつかないこともあるのに、それができなくなるのではないかと、懸念されているのではないでしょうか。

裁判員制度の中で取り上げられてきたのは、裁判員がPTSDを発症するのではないかとか、守秘義務の負担が重すぎないかとか、そういう報道はたくさんありました。
またこの記事のように、被告人の刑事責任能力の判断だとか、被告人を「裁く」ことを心配した報道もたくさんありました。

ですが、刑事事件で一番ダメージを受けているのは、被害者です。
そして、逮捕後、留置所や刑務所にいる被告人とは違い、
被害者は、被害直後からも、現実に生きて生活していかなくてはならないのに、そこには全く焦点があてられていないことが、残念でなりません。
強い疑問と憤りを感じるとともに、何とかならないものか、と焦りを感じます。

タイトルに書いた、「一般市民である裁判員に、被害者の精神症状が理解できる?」という問いへの私の答えは、「残念ながら、無理に決まっています」、です。

被害者をよく知っているはずの家族にさえ、恋人にさえ、友人にさえ、わかってもらいにくいのが現状です。
精神医学的にも、性被害については、日本はまだまだこれからです。それが少しずつ少しずつ進んできている段階であって、まだまだ世間一般への理解なんてほど遠いのです。
専門家でさえ、性被害に対応できる精神科医カウンセラーも、どこもかしこもいないという状況なのに、何の理解もない一般市民が性犯罪を裁くなんて、どう考えても、無理だと思うのです。

再度、引用です。

「医師によって鑑定の質にはばらつきがある」



全ての精神科医が、正しい知識と判断を下せるわけではないのは、精神鑑定に限らないということではないでしょうか。
性被害による精神症状やPTSDに関しても、同じではないでしょうか。

(再度引用)
ベテラン裁判官は「責任能力の判断はやはり難しい。裁判員裁判の準備が整ったとはとても言えない状態」と漏らした。



本当に、裁判員裁判、いったいどうなるのでしょう。 準備が整うどころか、どんどん欠陥が発覚していっています。
国の制度不備で、一番迷惑するのは、当事者です。
なにより、いちばん困り迷惑するのは、罪をおかしてもいない、何も悪いことはしていない、被害者なのです。
特に、これだけ理解が世間にないことを考えると、どう考えても、性犯罪を裁判員裁判で裁くのが適切とは思えません。

なんとしても、性犯罪を裁判員制度の対象から、外していただきたいと思っています。
それができるまで、きちんとした準備ができるまで、延期してほしいと強く思います。

国の都合で、被害者を苦しめるのは、間違いです。
被害者は、好んで被害に遭ったわけではないのです。 加害者に傷つけられ、警察や検察でも傷ついてきた被害者を、国がそれ以上追い詰めてどうするというのでしょうか。
刑事裁判は、国が被告人を裁く、ということだけではなく、被害者が人生を取り戻すツールとならなくてはいけないのではないでしょうか。
どうかそのことを、真剣に考えてほしいのです。被害者の存在を、忘れないでほしいのです。
わたしたちは、ここにいるのです。ここに、生きているのです。





ぜひこちらのサイトもご覧ください。
※参考サイト  
裁判員制度における性暴力事件を考える 

傍観者であろうとする第三者は、加害者である

前回書いた京都教育大学の事件について、あまりに大学側の対応がひどいものなので、他の例も交えて、被害者と加害者が同じコミュニティ(今回の場合は大学である)に属している場合について、どういう点が問題で、どうしたらいいのか、私なりに考えてみた。

「教育的配慮」…集団準強姦の重大性とズレ、京都教育大学長が会見

(一部引用)
 同大学によると、被害を受けた女子学生は、今年3月3日に教員に相談。大学側は同6日に「ハラスメント防止委員会」を設立し、教員らが、被害学生や逮捕された6人などに対して聞き取り調査を行った。
 ところが、大学側は24日、被害学生の保護者に対し「公共の場所で性的なことをした公然わいせつは6人とも認めたが、同意があったのか、無理矢理だったのか、細かいところは判断できない」とし、「警察に告訴するかどうかを考えてください」と話したという。その後、31日付で6人を無期限停学処分とした。
 会見で寺田学長は「大学は捜査機関ではないので、細かい事実を追及するのには限界があった。(大学として)警察に早期に相談しなかったのは、内密に事実確認を行うことを優先したため」と釈明した。


同意があったか判断できないって、そりゃ捜査のプロではないのだからそうだろうけど、そうだからこそ、まず相談があった時点で通報するべきとは思わなかったのだろうか。
複数犯の場合、親告罪ではなくなる。学校側としては何もできないと、被害者へ責任丸投げである。被害者を守ろうという意識が全く感じられない。
それに、同意があったのかわからない、なんて、被害者に言う言葉ではない。どれだけ被害者が傷ついたことだろうか。彼女の受けた苦痛、孤立感、絶望感を考えると、胸が張り裂けそうだ。
何も悪くない被害者が、こうした周囲の心無い(この場合、あまりに心無さ過ぎる)言動によって、さらなる苦痛を受け、追いつめられていく。
教育者としての倫理も何もあったものではない。
しかも、退学や、その後の進路についても考えなかったのだろうか。相談されてすぐではなく、3月31日付での「無期停学処分」。卒業する加害者に退学、卒業取り消し等も考えなかったのだろうか。教育者としてあるまじき行為をしたものが、教職につくことへの懸念はなかったのだろうか。
しかも、在学中の加害者は、授業を受けなくとも、学校に出てくることも考えられる。何より、被害者に再度危害を加える恐れもある。逮捕勾留されない限り、何でもできる。そういうことは一切考えていないように思われるが、学長会見では「教育的配慮」を繰り返すのみだったというから、呆れる。

京都教育大生の集団準強姦 対応めぐり文科相と大学対立

(一部引用)
6人の処分後も京都府警に通報しなかった同大学の対応をめぐり、塩谷立文部科学相と大学側の見解が対立している。2日、文科相が「大変問題だ」と指摘したのに対し、大学側は「不適切ではない」と反論。しかし、被害者側が通報したことで「あとは任せられると思った」ともしており、主体的な対応を取らなかった大学側の姿勢が改めて浮かんだ。


「不適切ではない」って・・・どこをどう考えたら、そういう主張ができるんだろう。頭が痛くなる。
しかも、被害者側が通報したことで「あとは任せられると思った」はないだろう。学校側としてもっとできることがあったはずだ。被害者も学生のひとりであり、その彼女を守るのが最優先事項ではないだろうか。




被害者と加害者が同じコミュニティに属している場合、そして加害者が裁かれない場合、被害者にはとても大きな苦痛が、現実としてのしかかっていく。

本人の承諾を得たので、例を挙げさせてもらう。

Aさんは、学生時代に被害にあった。加害者は同じ学校の同級生だった。
加害者は逮捕されたが、警察からは学校側に通報するということは行っていないと説明を受けた。また自分から通報したら名誉毀損になりかねないとも言われたと言う。

Aさんにとっては、何が真実なのか、彼女が一番良く知っている。不起訴になったら、加害者が野放しになったら、いったいどうすればいいのかと、毎日恐怖で押しつぶされそうになった。
何度も学校側に、加害者を退学にしてほしいと言おうかと思ったという。だがどこに言えばいいのかもわからなく、また自分が被害に遭ったことを申し出るのも辛く、加害者が勾留されているのだからと我慢していた。友人にすら打ち明けられなかった。
加害者のことも知っている分、衝撃が大きく、噂がひろまるのを恐れたという。
被害を受け、事件の生々しい再現等のフラッシュバック、不眠、悪夢に悩まされ、事件に関係するもの、加害者を想起させるものを回避したいと思っても(多くの被害者はこうした症状をたどる)が、同じ学校ということで考えざるを得ず、毎日が辛かったという。
なんとか普通に過ごしているように、淡々としているように見えても、一人になると、恐怖でがたがた身体が震えたり、うまく呼吸ができなかったりしたという。そういう中、一刻も早く加害者を退学にしてほしいという思いが強くなるのは当然だろう。

そんな彼女に追い打ちをかけたのが、加害者の両親の脅迫まがいの接触だった。逮捕されたことを知った加害者両親は、否認する息子の言うことを信じきって、さんざん彼女を中傷し、告訴を取り下げるよう迫った。耐えられず電話に出なくても、留守電や速達の手紙等で、攻撃は続いた。さすが加害者の両親というべきか、謝罪の言葉は一切なく、自分たちが困る、自分の娘まで結婚できなくなる等、ひたすら自己中心的主張だったという。

学校側は、加害者が突然、登校しなくなったのを不思議に思ってはいたものの、まさかそんな事態がおこっているとは思いもよらなかった。
そして、加害者は起訴された。すると、加害者の両親が学校側に怒鳴り込んだ。
加害者両親は否認し続ける加害者の言うことを鵜呑みにして、合意の上であり大したことはないはずなのに、被害者が大げさに騒ぎ立てたと主張した。

学校側はAさんを呼び出した。呼び出した名目は「謝りたい」ということだった。

被害者であると学校側に知られたこともとても辛く、また顔を合わせて話すのも、とても気が重かったが、どうなるかわからないという不安と恐怖から、早く加害者を処分してもらえるのではないかという期待で、行ったという。
認められる可能性が低いとは聞いていたものの、加害者は保釈を要求していると聞いていたため、また自分の周囲に現れて、何をされるかわからない、と、とても心配だったからだ。

決死の思いで、弁護士に付き添ってもらい、出かけたAさんは、加害者家族の主張を聞き、言葉が出ないほどのショックを受けた。同席したAさんの弁護士が事情を説明しても、片方からの事情だけでは判断できない、両方から事情を聞かなければ、学校側としては何も決断できない、という。

そして告げられたことは、実刑が確定するまで(つまり裁判が終わるまでだ。控訴上告されて何年もかかったらどうするつもりだったのだろう)、容疑者にしかすぎないため、何の処分もできない。加害者にも人権がある、と。
学校としては双方から事情をきかないとしかるべき処分ができない。あなたからは事情を聞けるが、拘留されている加害者からは事情がきけない。
弁護士が、拘置所に接見に行き、事情を聞けばよいのではと言ったが、そんな「とんでもないこと」はできない。自分たちには「そういうことに割く時間」もない。出てくるまで待つしかない、と。

せめてAさんが卒業するまで停学等にできないのか、と弁護士が言ったが、そもそもこういう事態は想定していなかったため、停学ということさえできない。規則にない。退学も、本人の自主退学しかないという。

弁護士が、無罪の可能性があればそもそもすぐには逮捕されないこと、起訴されたということは裁判にかけて有罪になる可能性が高いということ、処罰できると判断されたことなのだ、と説明しても無駄だったという。規則にないことはできない、私たちに言われても困る。そう主張して、譲らなかったそうだ。他の学校では退学の事例があっても、この学校にはないのでできない、ということだった。

さらに驚いたことに、示談すれば執行猶予がつき、学校に出てくる。それは学校としては困る。だから、あなたには頑張ってほしい、と、強制ともいえる言葉をかけられたという。
結局、「謝りたい」と言って呼び出したにも関わらず、謝罪の言葉は一切なかったという。

被害妄想かもしれないけど、と前置きした上でAさんは語る。むしろ、部屋に入ってきた時点で、じろじろ全身を眺めるような視線に、とても不快感を覚えたという。ああいう話なら、わざわざ呼び出してする必要もなかっただろうと。とても傷つき悲しい思いをした彼女の痛みがひしひしと伝わってきた。




皆さんは、この話をきいて、どう思われるだろうか。

共通しているのは、全く、被害者への配慮が感じられない点だ。
そして、捜査のプロでもないのに、「双方から事情をきかなければ対応できない」という姿勢。これは犯罪行為であり、自分たちの手に余る行為だという認識がない。警察でも否認するような輩に、素人が事情をたずねたところで、シラを切るに決まっている。
何より、京都教育大学の場合、加害者同士の口裏あわせ等の可能性は考えていなかったのか。無期停学というのも、いったいどうするつもりだったのか。自主退学を願っていたのか、それとも事態が急変する可能性を考え、加害者たちにも学校へ戻る機会を与えたつもりだったのか。情けないとしかいいようのない事態だ。

あまりの学校側の身勝手さ、無責任さを共通して感じる。教育機関とは思えない態度だ。そしてAさんの場合、「双方から事情をきく」と言っておきながらも、加害者に接触するのは嫌がっている。何より、謝りたいという名目で呼び出しておいて、なんだその仕打ちは、と思う。

いろいろな話をきいて思うのは、中学までは義務教育であり、高校からは義務教育でないが未成年であり親の保護介入もあり地域社会での立場もある。そういうわけで、何かことがおきると、わりと処分は速やかに決定される。つまり、高校までは教育機関としての役割が自然と果たされているわけだ。地域社会とのつながりも密だし、保護者との関係も密だ。

ところが、大学、専門学校、等いろいろあるが、高校卒業後の「教育機関」は、なにかコトが起きた場合の対応が、かなりバラツキが見られる。そのバラツキは、教育機関としての自覚があるかないか、という点ではないだろうか。

だいたい、大学の学長というのは、研究者である。授業を持つのさえ面倒がり嫌がる教授も多い。学生を教育しているという自覚は乏しいように思える。「学長」という肩書きは、ちょっとした威光をつけたいだけであって、学長として大学内でおきたことには責任を持つという自負はそもそもないのではないか。
まして国立だ。もちろん過去の事例をふまえると、国立大でも速やかに対処しているところもちゃんとある。だが今回の場合、こういう想定できない事態には、なんとも煮え切らない公務員的態度である(※公務員自体を否定しているわけでは全くないことを付け加えておく)。
被害者側が通報したことで「あとは任せられると思った」などと、驚きの発言をぶちかましてくれている。

この場合、被害者と加害者は同級生だ。まず、被害者の苦痛、今後の将来を考えての配慮ある行動などが、一切感じられないことに、強い怒りを感じる。それなのに「教育的配慮」と強調している。いったい何を考えているのだろう。

この事件、上述したAさんの事件のような学生間の性暴力だけではなく、あちこちで、教える側、指導する側であるはずの教師、講師、教授等から、学生への性暴力が起きている。
学校等の教育機関に限らず、習い事や、学習塾、スポーツ団体等でも起こっている。

指導者から学生への性暴力であっても、いやそれゆえの仲間意識なのか何なのかわからないが、学校ぐるみで隠蔽を図ろうとしたり、加害者を助けるような行動さえとったりもする。

逮捕された、等、事件をすぐ知り、加害者を懲戒免職にしたり退学等にするのは、私立大学、小規模な大学、専門学校等はすぐするようだ。もちろん国立でもそういうところもあった。
だが、これだけバラツキがあるのを見ると、何らかのガイドラインが文部科学省等から出すようにしたらどうかと思う。今回の京都教育大学も国立だという。あまりにいいかげんすぎる。

セクハラ等ではすまない犯罪行為(私個人としてはもちろんセクハラも性暴力であり許せないと思う)の場合の、大学側の対応をマニュアル化する、規則等をしっかり設ける等の対策が必要ではないだろうか。
「双方から事情を聞く」なんて、先の記事にも書いたが、捜査のプロでもないのに、正確な事情聴取も、その上での判断もできるわけがない。

私は被害者当事者だが、そうでない人たちからも、大学側の対応はおかしいという声が多数あがっている。
参考記事→京教大学長「教育的配慮」に抗議殺到…男子学生集団暴行事件

当たり前だ、の一言につきる。




加えて言うと、加害者というのは、異常だ。感覚がおかしい。悪いことをしたという自覚さえない。
そして、そういう人間の家族も、おかしな感覚、異常な人間性を持っているように感じる。
それが、多くの被害者たちの話をきいて、つくづく思うことである。

容疑者のひとりの父親は、大阪府茨木市の教育委員会に所属する、生涯学習部青少年課の課長で、面接、採用の最終決定にかかわる立場だったという。その父親の口利きで無期停学中に、小学校の学童保育の臨時指導員をしていた、というから呆れ果てる。
また、現場近くにいて大学から訓告処分を受けた男子学生が、大学卒業後、京都市の市立中学校に勤務し、事件発覚直後に退職していたそうだ。ばれなければそのまま勤務するつもりだったのだろうか。本当に恐ろしい話だと思う。

参考記事
父が面接・採用し停学中に学童指導員…集団準強姦容疑逮捕の京教大生
訓告処分の京教大生が市立中に講師で勤務

悲しいことに、こうして加害者たちが世間に野放しにされていく。
幸いにも、すぐ逮捕されたり退職したりなどして、子どもたちに被害が及ばなかったことがせめてもの救いだ。
「教育的配慮」というならば、そういったことまで考えての行動でなくてはいけないのではないかと思う。


7/11追記
京都教育大学の事件を検索しこちらへ来られた方へ。
集団準強姦罪の悲しく厳しい現実をこちらのエントリの最後に書きましたので、どうかご覧ください。




ぜひこちらのサイトもご覧ください。
※参考サイト  
裁判員制度における性暴力事件を考える 

被害者は悪くない

京都教育大学の性暴力事件について、思っていることを書こうと思う。

介抱するといって、大勢いる部屋から連れ出し、居酒屋の空き室に連れ込み、店員が入って来れないよう戸を塞ぐなど、どう考えても、計画的で悪質な犯行だ。常習性も感じられる。
店員が異変に気付き、部屋に入ったとき、ぐったりした被害女性の他に、男子学生数人がおり、あわてて逃げたという。
抵抗できないほど酒を飲んだ方が悪い、被害者は傷ついていなかった、と参加していた男子学生が加害者を庇っている書き込み等をいくつも見て、怒りに身体が震えた。

加害者が上級生で、被害者は下級生だ。ましてお酒を飲むのに慣れている年齢でもない。通常に考えて、無理に飲ませるほうが悪い。
まさかそんな恐ろしいことを計画しているなんて知らない限り、断固拒否するということは難しいのではないだろうか。しかも加害者は体育科だという。
別に体育会をバカにするわけではないが、多くの体育会系の部活等で、いまだに、先輩が後輩に酒をすすめて飲ませ、後輩は飲むのが当たり前とされているのが現実だ。

多くの性犯罪被害者の話を聞いて、共通していると思うのは、加害者はとても計画的で用意周到だということだ。
そして慣れている。おそらく今回も初めてではないだろう。
どう言えば、どうすれば、被害者が自分たちの策略どおりにできるのか、加害者たちはとてもよくわかっているのだ。


被害者の「落ち度」を責め立てている人たちは、先輩なり、上司なり、取引先なり、無理にお酒を強要され、しかたなく飲んだことはないのだろうか。
自分の適量を超えて失敗したことは、絶対に、一度もないのだろうか。

これが現実なのだ。窃盗や泥棒では、鍵をかけるのを忘れていても、被害者はあくまでかわいそうな被害者であり、悪いのは加害者だと当たり前に思われる。
だが、このことを見てわかるように、性犯罪では、女性の「落ち度」を責めたてられるのが現実だ。

女性はお酒を飲んではいけないのか。
私くらいの年になれば、のらりくらりとかわすか、飲んでいるふりをするか、あるいはお手洗いに逃げるか等の処世術も身に付いていく。周囲も、それを見逃してくれるくらいの度量というか人生経験を積んでいる。だがそれは、ある程度人間関係が希薄だからできることでもある。そしてそれでも、難しい場合もある。
学生で、狭いコミュニティで、酒の席で、雰囲気を壊してもいいくらいの覚悟で断固拒否するというのは、加害者が何を企んでいるか知らない限り、無理だ。

女性は、飲み会に一切出るなというのだろうか。男性に話しかけられても無視しろと言うのか。
誰にお酒をすすめられても、一滴も飲むなというのか。断っても断っても、飲まざるをえないことがあるのは知っているだろう。
いったいどういうふうに振舞えば、落ち度がなかったと言えるのか、ぜひ教えてもらいたいと思う。

抵抗できない状態の女性に性行為を強いること自体が、女性の人権を無視した、尊厳を踏みにじる行為だ。
自分の同意なく、性行為を強いられるということは、自分の体、心がモノ扱いされているということだ。自分の体なのに、自分の意思は無視され、他人の思うがままにされているということだ。
それが、どれだけダメージを与えるものなのか、わかっていなさすぎる。いや、わかろうとする気さえない人が多すぎるのだと思った。
悲しいが、これが現実だ。改めて、どれだけ性犯罪が世間に理解されていないのか、痛感した。

男性の皆さんに、考えてみてほしい。あなたが酔っているとき、とても腕力の強い身体の大きな男性に、無理やり服を脱がされたとしよう。
そして性行為を強いられたとしよう。それで、あなたは、絶対に傷つかないと言えるだろうか。
その後、人が駆けつけてきたとき、僕はひどい目にあいました、と、すぐに泣きながら打ち明けられるだろうか。
泣くこともできないほど、呆然とし、自分の身に起きたことを受けとめられないほど傷ついているかもしれないとは思わないのだろうか。
もしくは、混乱し傷ついていても、自分の身に起きたことを知られることを恐れて、必死で平静を装い、なんでもないふりをして、その場を離れるということは絶対にしないと言えるのだろうか。

被害者が傷ついていない、なんてよく言えるものだ。

傷ついていなければ、家族に相談したりしない。学校側に相談したりしない。
被害者は、きっと学校で加害者たちと顔を合わせるのが怖かったに違いない。退学等にしてほしいと要望していたのではないだろうか。
しかし、それにすぐ応じず、捜査のプロでもない学校側が加害者から事情をきき、関係者の主張が異なっているから事実関係の確認がどうのこうのとか。
学校として事情を把握しようとしたのはわかる。だが、自分たちの力量を超えているとは思わなかったのか。まず、犯罪行為との認識があれば、すぐ警察に通報するべきだ。
警察でも何でもない相手に、加害者が自分の罪を認めるわけがない。なんとかごまかそうとするのが常だ。それすら考えが及ばなかったのか。
それとも、学校の名に傷がつくのを恐れて、加害者側の言い分を通そうとしたのだろうか。
すぐに対応してくれず、被害者がどれだけ傷ついたことか。事件が起きたのは2月だという。
学校側が、あくまで保身のため、加害者を庇い、不祥事をもみ消そうとしているのを知り、被害を受けた自分を守ってくれない現実を知り、どれだけ、悲しかっただろうか。
そして、逮捕されるまで、どれほどの不安、精神的苦痛を抱えて過ごしていただろうか。
逮捕された今でも、これから先どうなるのか、とても不安で苦しい思いをしているのではないだろうか。
彼女が受けた苦痛を思うと、辛くてたまらない。


どうか、お願いです。
傷ついている被害者の方を、これ以上、苦しめないでください。追い詰めないでください。
悪いのは、全て加害者です。被害者は好んで被害に遭ったわけではありません。全ての責任は、加害者にあります。

被害者は、何も悪くありません。どうかそのことを、考えてください。



7/11追記
京都教育大学の事件を検索しこちらへ来られた方へ。
集団準強姦罪の悲しく厳しい現実をこちらのエントリの最後に書きましたので、どうかご覧ください。



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※参考サイト  
裁判員制度における性暴力事件を考える 

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    性被害にあって十数年たちます。
    刑事裁判経験者です。

    二次被害三次被害等、過酷な経験をし、性被害の後遺症もところどころありますが、それでも、わたしは生きています。今は、生きていてよかったと思います。

    だから、同じ被害にあったあなたたちに伝えたい。
    あなたは何も悪くない。どんな事情があったにしろ、あなたは悪くないのです。どんな特殊性があったにしろ、望みを捨てないでほしいのです。

    悪いのは加害者であり、無理解な社会です。あなたは、何も変わってなどいない。とても素敵なところをいっぱいもっている、素敵な人のままなのだから。


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