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性被害についての認識のずれ

以前の記事

抵抗できない状態の女性に性行為を強いること自体が、女性の人権を無視した、尊厳を踏みにじる行為だ。
自分の同意なく、性行為を強いられるということは、自分の体、心がモノ扱いされているということだ。自分の体なのに、自分の意思は無視され、他人の思うがままにされているということだ。
それが、どれだけダメージを与えるものなのか、わかっていなさすぎる。いや、わかろうとする気さえない人が多すぎるのだと思った。
悲しいが、これが現実だ。改めて、どれだけ性犯罪が世間に理解されていないのか、痛感した。

と書いた。

そのことにからめて、なぜ、性被害のひどさが、理解してもらいにくいのかということを、書こうと思う。
通常の性行為と、暴行脅迫をもちいた性行為と、何が違うのかわからないという、男性の声を多く聞く。(残念ながら、法曹界にも多く存在する)

それを聞いたときは、倒れるかと思うくらいの、頭をなぐられたかのような衝撃を受けた。
即座に「まったく違います。殺人です」と答えたが、本当に残念なことに、男性にはなかなかわからないようなのだ。(もちろん、わかってくださる男性、わかろうとしてくださる男性もいらっしゃるが、残念ながら少数のように思われる)

私もそうだが、被害者はみな、殺されると思ったと言っている。そう、殺人に限りなく近い、暴力なのだ。
よく、「魂の殺人」「心の殺人」という言葉を聞く。
でも、私にとっては、だけれど、言葉が抽象的過ぎるのか、どこか漠然としていてぴんとこない。

被害に遭う前の私も、その言葉は聞いたことがあるが、よくわからなかった。
そして、被害に遭ってからも、逆に、感覚がまひしすぎていて、自分のことを冷静に見ることができなかったからか、よくわからなかった。

ただ、「たましい」「こころ」(ひらがなの方が、わたしにはしっくりくる) という、抽象的すぎだけれども、とても大切なもの。自分にとって大切なもの

それがなくなってしまった。

自動的に消滅したとか、自分の意思で消したということではないのだから、たしかに、「殺されてしまった」に近い表現かもしれない。
そして、そのことを、現実、つまり事実だ、と、認めたくなかったのかもしれない。

だけど、わたしは、今、生きている。何度も死のうとしたけれど、でも、生きている。
「こころ」がなくなったわけでもないし、「たましい」がなくなったわけでもない。
でも、なにか「大切なもの」「当たり前だと思って信じていたもの」がなくなってしまったのは事実だ。

性被害の場合、自分の世界そのものが、破壊されてしまうと言っていいほどの、深刻なダメージを受ける。

                        「トラウマの医療人類学」 宮地尚子 著 p180 より引用

性行為を強制するとき、言うことをきかなければ命に保証がないとか、大けがになるかもしれないとか、加害者はさまざまな脅しをかける。言葉ではなくても身体的・心理的な圧迫感によって同様の効果を与える。抵抗する被害者には、実際に脅しが本当であるということの片鱗を見せるだろう。それに対し、被害者はまず警戒の生理的反応を起こす。交感神経が高まり、直面した状況に注意が集中し、痛みその他が感じられなくなるなど、知覚に歪みが起こる。「闘争か逃走か」の姿勢に入り、結局どちらも成功しなかったとき、「人間の自己防衛システムは圧倒され、解体に向かう」。生理的な覚醒度、感情、認知、記憶が、相互の統合を失い、それぞれが変容を起こす。

 ※強調は多面体による。

ここに書かれてあるように、心も体もバラバラになるほどのダメージを受けるのだ。
メッセージに書いたこと以外にも、たくさんたくさん嫌なこと、悲しいことがあった。

家族には誤解されたまま、縁を切られたこともあった。
大切な友人はあまりのことにダメージを受けすぎて、友人の方がつぶれてしまいそうだったから、私から離れた。
働きたくても働けなくて、誰にも助けてもらえなくて、追いつめられて、苦しかった。
PTSDがひどくて、「ふつう」に暮らせなくて、たくさんのことをあきらめなくてはならなかった。
あきらめたくなかったことも、気力と体力を振り絞っても、二次被害三次被害で、より辛い思いをするだけで、悔しかった。
社会不信、人間不信、無力感、絶望。
とても孤独で、自分を生きる屍だと思って辛かった。
「ふつうでなくなった自分」と思うことが、すごく苦しかった。
生き地獄としか言いようのない苦しみで、殺されていたほうがましだったと、何度考えたかわからない。
何度も、おさえきれない激しい憎悪の感情がわきでてきて、本気で殺人計画をたてようと思ったことさえある。

こういうことが、もしかしたら「自分にとって大切なもの」「当たり前だと信じていたもの」を失った、ということなのかもしれない。

当時はただ苦しんでいるだけのように思えた。怒りと悲しみを抱えて、何もできない自分を、とても情けないと思った。どんどん退行しているように思えたのだ。
でも今振り返ってみると、わたしは、自分の内面は成長し続けていたと思う。
もちろん、今ももちろん、ときどき後戻りはしてしまうし、ストレスには弱すぎるくらい弱いし、事件を思い出すきっかけがあると、具合が悪くなったりという後遺症もあり、それを考えると、恨めしく思う気持ちは消えてなくなったわけではない。

でも、やっぱり「魂の殺人」「心の殺人」という言葉には、若干の違和感を感じている。
わかりやすくいうとそうなのかもしれないが、なにかピンとこない。
わたしの「こころ」までは、今は、という限定つきだけれど、加害者の思いどおりにはなってはいないからだ。

だが、矛盾するようだけれども、わかりやすくいうと、やはり性被害は、「魂の殺人」「心の殺人」なのかもしれない、とも思うのだ。
自分を生きる屍としか思えなかったときは、残念ながら、加害者の思惑通り、ひどい苦しみ、生き地獄のような苦しみを味わっていたからだ。
それぞれにとっての言葉の意味は違うかもしれないが、心を破壊的に傷つけられるのは、まぎれもない事実だ。


話を戻すが、通常の性行為とは何が違うのかというと (ため息をつきたくなるけれど)、
まったく違う、としか言いようがない。
性行為という意識は、全くない。
暴力だ。殺人にかぎりなく近い、ひどい、ひどすぎる「暴力」だ。そう、「暴力」の一言につきる。

だが、事件としては、性暴力である。受けた被害は、性に関する被害である。
ゆえに、被害者は、事件のことを語るとき、性に関して加えられた暴力として、語らなくてはならない。
そこに苦しみが生まれる。
ふだん使わない言葉、言いたくもない言葉を口にしなくてはならない。
何をされたか、自分の口で話さなくてはいけないのだ。

性行為の延長などで全くない、全く違う、という認識がこちらにはあるのに、
周囲の対応は「性」に関する被害を受けた、というものだ。そこに、ギャップ、戸惑いを感じる。
一方的な暴力であり、性暴力であることは事実ではあっても、性的行為の「一種」では全くないのだが、どこか性行為の延長としてとらえられている
ような気がしてならなかったのは、残念ながら気のせいではなかったのだと、今回の厚い壁で、改めて思った。
そのとき(事件直後)は反応さえできないほど傷つきすぎていたのだろうけれど、あれは、違和感、不快感だったのだ、と今は思う。

ちょっとうまくまとめきれないので、似たようなことを前に書いたことがあるので、そこから引用する。

被害者にとっては性行為などではなく、ただただ、何をされるかわからない、殺されるという死を意識した恐怖です。殺人にかぎりなく近い暴力です。
でも、性に関する暴力なので、やはり、知られたらどういう扱いをうけるかわからないという恐怖がついてまわります。
そのため、被害直後からずっと、誰に何をどう伝えればいいのか、どこに行ったらいいのか、混乱と恐怖の中におとしいれられます。適切なサポートを受けられるという保証がないため、警察や病院へ行っても、より辛い思いをするのではないか、と、ひとり苦しむことになるのではないでしょうか。
なので、病院にも行けなかったり、警察に行けなかったり、決死の思いで行っても、警察の過酷な取調べで耐えられず力つきてしまう、ということになるのではないでしょうか。

自分にはありえないことと思っていたことが自分の身に起こることで、どうしてだろう、どうして自分がこういう目に遭ったのだろうと、こたえの出ないこたえを求めて、被害者は、自責感、罪悪感に苦しみます。
あのときああしていれば、こうしていれば、等、すべて加害者の責任なのに、どうしても自分を責めてしまいます。



「羞恥心等のために被害を訴えでない女性が多い」という表現をあちこちで見聞きする。
でも、羞恥心というと、どこか軽い感じの言葉に聞こえるのだ。
簡単に言えばそうかもしれないが、羞恥心というと、恥じらいというか、どこか軽いイメージを持ってしまうのは私だけだろうか。恥じらい、という言葉自体も、なにか男性目線を意識した言葉のように思えるのだ。
羞恥心、という言葉自体、どこか「男性から押しつけられた価値観」が含まれているような気がする。

※以下、フラッシュバックする可能性の内容が含まれていますので、体調にご留意の上、読むかどうかご自分で判断なさってください。 

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    プロフィール

    Author:てん
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    (※★→@で送信可)
    itisnot_yourfault★yahoo.co.jp


    性被害にあって十数年たちます。
    刑事裁判経験者です。

    二次被害三次被害等、過酷な経験をし、性被害の後遺症もところどころありますが、それでも、わたしは生きています。今は、生きていてよかったと思います。

    だから、同じ被害にあったあなたたちに伝えたい。
    あなたは何も悪くない。どんな事情があったにしろ、あなたは悪くないのです。どんな特殊性があったにしろ、望みを捨てないでほしいのです。

    悪いのは加害者であり、無理解な社会です。あなたは、何も変わってなどいない。とても素敵なところをいっぱいもっている、素敵な人のままなのだから。


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