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冊子「『あなたは悪くない』と言ってあげられますか?」のご紹介

性暴力をなくそうキャンペーンの一環として、小林美佳さん、大薮順子さんがつくられた冊子のことが、新聞等で紹介されましたので、こちらでもご紹介させていただきます。

http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=16598より転載
(※冊子の写真もあるので、ぜひご覧ください)

性暴力の実情 冊子で訴え…被害者ら対処法も紹介


性暴力の被害に遭った女性2人が、被害者やその家族・友人などに向けた冊子「『あなたは悪くない』と言ってあげられますか?」=写真=を発行した。

 冊子を作ったのは、被害体験を実名で出版した小林美佳さん(34)と、アメリカを中心に活動しているフォトジャーナリストの大藪順子(おおやぶのぶこ)さん(38)。講演会や写真展などで、それぞれ性暴力防止を訴えてきた。被害者が心身を深く傷つけられるだけでなく、周囲の誤解や偏見に苦しめられる実情を、社会に訴えたいという思いで一致。昨年、2人で「性暴力をなくそうキャンペーン」をスタートした。

 冊子はキャンペーンの一環として作成。タイトルには、被害者が責められやすいこの犯罪の実情を知ってほしいという思いを込めた。性暴力の実例を紹介したうえで、性暴力にまつわる「誤解」の例を列記している。

 例えばレイプは「夜道で見知らぬ人」にされるのではなく、知り合いによる例が多いことを内閣府の調査をもとに紹介。また「合意の上だったのでは」「嫌だったら助けを求められるはず」など周囲の誤解と偏見が、被害者を苦しめることなどを解説している。

 そして、被害に遭ったり被害を相談されたりしたら、〈1〉交番より警察署の性犯罪被害者対策室に連絡する〈2〉妊娠の恐れがある場合はピルによる緊急避妊の方法がある〈3〉証拠保全のために入浴しない――などの対処法も盛り込んだ。

 A5判、16ページ。1冊100円(送料別)で希望者へ郵送している。「NPO法人全国女性シェルターネット気付」と書いて、冊数と住所、氏名、連絡先を記し、ファクス(03・3235・9684)で申し込む。

 小林さんは「性暴力とはどういうものか、多くの人に知ってほしい。今後は、相談窓口の開設など活動を広げ、被害者支援と法整備の充実を訴えていきたい」と話している。

(2009年11月7日 読売新聞)




ぜひ多くの方に、読んでいただきたいと思っています。
ささやかながら、私も、配布先を探そうと思います。

本当に悲しいことですが、
いつ、誰が、被害に遭うかわかりません。
年齢も性別も関係ありません。

性暴力の実態を知ってほしい、正しい知識を持ってほしい。
多くの方に、読んでほしいと思います。


※こちらは性暴力に理解のある方限定とさせていただいています。同じ内容を別館にもあげています。http://d.hatena.ne.jp/manysided/20091108

被害者に口なし

某芸能人の公判の模様の報道を見て。
「たぶん差はここ」のエントリで書いたことは、やはり当たっているのだなと思った。

被告人が、一緒にいた女性が亡くなったのをいいことに
(それについての裁判は別途行われるようで、捜査中とか)、
勝手なことを言っている、「死人に口なし」作戦だ、と報じられている。


個別の事件をとりあげるのは、
性犯罪被害者としてだけではなく犯罪被害者としても気が重いのだけれど。

たしかに容態急変したのに放置したとか、ありえないことをしている。
で、それ以外の言動についても苦しすぎる弁明をしているとか。

※どうしても性がどこかで絡む事件ではそうなるのかもしれないけれど、
このあたりは性的な表現がばっちしあったので、検索するのはやめておいた方がいいと思う。


思ったこと。


亡くなられたことを軽んじるつもりは全くないのだけれど。

どうにもこうにも世間との違和感を感じる私には、
「死人に口なし」というよりも、
「被害者に口なし」という表現が正しいのではと思ってしまう。


だって生きていても、裁判では、
被害者のことを好き勝手に被告人が嘘八百ならべる。

しかも、このように注目されている事件なら、
検察官も厳しい追及をするけれど、
そうでなければ、
ほんとうに検察官って何もしないし、
何をしたいのかがわからない。

私だけかとも思ったけれど、どうやらそれが普通のようです。



※しかし、なんらかのコミュニケーション障害なのではと思ったほど
 ひどい検察官だったので、もちろん当たり外れはあるだろう。

※年齢の割りにずっと窓際族そのものの異動をくりかえしていたけれど、
 いつのまにか高等検察庁に異動になっていた。
※裁判員裁判が始まるので、人前に出せない無能者は隠しておこうという
 臭いものには蓋人事なのかもしれない。
※存在が迷惑なのでいっそ辞めてくれと思うけれど、
 ああいうのに限って、検察官を辞めたら
 弁護士としては食べていけないので、辞めないんだろうなと思うのである。



私のときの公判担当の検事は、

・連絡さえ逃げる
・弁護士をつけてからも、あまり変わらなかった
・時間つぶしで本当に全く何も追及しなかった
 (示談するのを待っていた模様、出廷すると言うと慌てていたそうな)
・調書も読んでない
・裁判官が少し質問したくらいで、ヤツは全く何もしなかった
 (法廷にいただけ)

・何百ページにわたる、加害者が書いた上申書という名の嘘八百てんこもりのポルノ小説、
 吐きそうになりながら相違点をチェックして書き込んだのに、
 全く何もしなかった。ポイントくらい押さえてくれ。
・加害者は法廷でも私について、嘘八百言っていたけど、放置。
 結婚してほしいと私が言っただの、
 私が何股もかけていただの、
 はては私の体についても卑猥(という表現しか思い浮かばない)なことを言っていたらしい。
・とにかくありえないのだ。
 裁判は出来レースなので、はっきり言っちゃうと、検察官も裁判官も、誰にでも務まる仕事だと思う。
 なら私も適当にすればよかった、と思うけれど、こっちは命がかかっているのでね・・・


今書いていて思ったけれど、
彼は争点が何か、というものさえわからなかったのではないか。
というより把握するつもりさえなかった。
全面否認している加害者なので、もう全てが食い違っているのだけれど、
それを整理するということさえ、していなかったのだな、と思う。
というか、コロコロ供述変えるのさえも追及しないのって、どうなんだ、と思う。

言うことすべてに反論するのはそれは大変だろう。
でも、仕事だろう。
そんな点も??と思うくらい、
大きなところさえも何も質問しない、追及しない、というのはおかしすぎる。
調書、読んでないとしか思えなかった。
私自身が中傷されたことよりも、事実を追及するというのをしなかったというのが、
すごく悲しいし悔しい。
(誹謗中傷は、加害者だけでなく、他からもずっと続いていたので・・・)


刑事裁判なのに。


本当に迷惑な税金泥棒だ。


このエントリ、
自分のことは少し茶化して書いたつもり(でないと書けない)なので、
読んだ方には、たぶんよくわからない点が多いかもしれないけれど、
ちょっと詳細に書くのは本当に無理・・・。

本当に、何度、テロをおこそうかと思ったかわからないくらい、
この検察官への怒りはなかなかおさまらない。
書けばキリがないくらい、彼はおかしかった。もしくは何もしなさすぎた。
今、少しだけれどこうして書けるようになっただけでも、私にとっては大きな進歩だ。

本当に、彼がもっと頑張っていれば、
他に何百人と被害者が出ることはなかったのに。
私が苦しむのは変だなあと最近ようやく思えるようになったけれど。

法定義も判例も変だけど、それでも、納得できないものを感じる。

彼はもっと自分の仕事に、責任の重さを感じてほしい。
それができないのなら、本当に、辞めてほしい。

最高裁だけじゃなくて、全ての裁判官にも何らかの形で国民審査をするべきだと
私は思っているけれど、
検察官にももっと考えてもらわなくては。
実際に被害に遭った人だけじゃなくて、他にも多くの犠牲者が出てしまう。
性犯罪の場合は特に。


なんだかちっともまとまっていないけれど、
頭ががんがんと痛くなってきたのでこのへんで。



別館にも同じエントリをあげます。
こちらは性暴力に理解のある方限定ということでお願いします。

それは、ほんとうにあったこと

前のエントリで、
被害そのものの記憶がない、ということを書いた。
まったくないわけではないが、イメージのようなものでしかない。
そのイメージは、まるで幽体離脱のように、
意識がとんで、遠くから自分を見下ろしているようなイメージだ、というようなことを。

それに関することを、「リンダの祈り」から抜粋させていただこうと思う。



「リンダの祈り」 第五章 “トラウマの正体”から一部引用 (p166~169) 
                               ※強調は引用者

 生き延びるための術

 この生き延びるための術は、性虐待の被害者をサポートする人や被害者本人も、持って生まれた性分、あるいは性格によるものとよく誤解する。しかしこれは個人の意思や性格とは関係なく、虐待を受けているなかで生き延びるために無意識に身につけたものであることを理解してもらいたい。
 被害体験のある人は、これから紹介する生き延びるための術を知ることで、性虐待によって自分が失ったものはなにか、自分はなにに傷ついたのか、“喪失からの痛み”と向き合ってほしい。そしてそれがどのような心の後遺症となって表れて自分を生きにくくしているのかを知り、喪失からの痛みを受け入れてほしい。それを出発点に、心のケアをしながら、失ったものをふたたび自分の手でとりもどしてもらいたいと思う。


 乖離

 被害者には、虐待が起きているとき、厳しい現実から逃避するために心を体から引き離す“乖離”という症状がでることがある。
 自分自身に起きたことではなく、ほかの子どもに起きたことなのだと被害者自身が言うこともめずらしくない。子どもたちは、虐待されているときの状況を、まるで自分が天井にぶらさがっている電球のなかにでもいて、そこから眺めているかのように証言する。「下のかわいそうな女の子に起きていることを上から見ていたの」と。また、虐待されている最中に乖離するため、いつ、どのように虐待されたかは覚えていない子も多い。

 ある女の子は、最後に虐待された日が九歳の誕生日だったので、日にちはよく覚えていた。その日は、友だちが家に集まり誕生日を祝ってくれていた。そこへ義理の父親が来て、彼女と話がしたいから地下室までついてくるようにと言った。そして、義理の父親はその女の子を虐待する。虐待されているあいだ、彼女は乖離し、自分は一階へ上がり、友だちとともにパーティーを楽しんでいることを空想した。そのため彼女は虐待を打ち明けたとき、どのように虐待されたのかはまったく覚えていなかった。
 ある八歳の女の子は、虐待されている最中、自分は売春婦で彼女の父親が虐待を終えたら50ドルの報酬がもらえると自分に言い聞かせた。虐待されているあいだ、彼女はショッピングをしていたからどのように虐待されたのかは覚えていないと言った。多くの被害者は現実に起きていることがあまりにも苦しいため、現実を意識しないよう、心と体を引き離して生き延びる

 私自身、現在も乖離の症状から完全に回復しているかどうかわからない。完全に回復しなくてもよいのではないかとも思う。たとえば、私のような仕事をしていると、その状況にのみこまれないよう、乖離する必要があることもある。法廷で証言するときに批判されたり、被告の弁護士から証人には適さないと攻撃されたりしたときに、私は彼らの言葉に左右されず証言するために乖離する。乖離することで平常心を保つことができるのである。
 適切な時に乖離することを身につけるのはむずかしいが、乖離にコントロールされず、自分で乖離をコントロールできれば、有効に使うことができる。


 抑圧する記憶

 性虐待を受けた人の多くは、虐待の記憶を何年にもわたって封じ込める、これが“抑圧する記憶”という症状だ。記憶とともに虐待が起きたときに沸き起こった感情も封じこめ、すべてなかったことにして生き延びるのである。しかし、成長するにしたがい、抑圧したはずの記憶が、ある小さな出来事によって一挙によみがえり、パニックにおちいることがある。

 これは55歳の女性のケースだ。彼女は病気の母親の面倒を見るために母の家を訪れた。彼女が母親の看病をしていると、義理の父親が風呂場から裸で出てきた。その瞬間、この父親から12歳まで受け続けた性虐待の記憶がよみがえった。彼女は12歳までの記憶がまったくなかったのである。
 また、ある女性は13歳のとき、自分の名前をマデリンからリンに変えた。33歳のとき、弁護士が彼女に連絡してきた際、彼女の本名のマデリンと呼んだ。その名前を聞いた途端、大好きだった祖父からの虐待を思いだした。虐待されたあと、記憶をすべて消すために名前を変えて、虐待はマデリンに起きたのであってリンに起きたのではない、と自分に言い聞かせていたのである。

 記憶を抑圧している人でも、過去に被害があったことをうかがわせる生活パターンを続ける人が多い。アルコールや薬物依存、暴力的な男女関係、離婚を繰りかえすなどだ。なぜ人間関係や仕事において問題を抱えてしまうのか、原因がわからないまま苦しみが続いているのだ。

 しかし、被害体験と向きあい、虐待について語れるようになると、このような生活パターンを変えていくことができる。虐待を受けたときのことを正確に思いだせないとパニックにおちいる人が多い。だが、虐待の詳細を思いだすことが重要なのではなくて、覚えていることにどのように対処していくか、その術を学ぶことが大切なのだ。また、私が見てきたところでは、心の準備ができると、思いだす必要のあるものは少しずつ思いだせるようになる




 ただでさえ自尊心が根こそぎうばわれてしまっていて、自分というものをやたら卑下してしまうくせがついてしまっていることもあったのだろう。
 自分以外のサバイバーの方たちは、その表現力もさながら、自分の経験したことを記憶できていることも、すごいと思っていたし、今も思っている。私は、自分は被害そのものの記憶だけではなく、それにまつわる記憶全てが思い出せなくなっていることが、怖かった。異常ではないかと思った。
 実はそれがごくごく当たり前のことだと知ったときには、本当にほっとした。自分以外のサバイバーの方たちも皆完全な記憶を持っているわけではないとも知った。

 今。私は、ほんとうに少しずつだけれど、思い出すことがふえてきた。それは、リンダさんが仰るように、思い出す必要のあるものということなのかもしれない。わたしが受け入れる準備ができてきたときに、少しずつ思い出せるようになってきたということなのかもしれない。
 詳細を思い出すのが重要ではなくて、覚えていることにどのように対処していくか。これを忘れるとまたぐらぐらになってしまいそうなので、自戒をこめて、胸に刻もうと思う。

 本当にあったことなのか、と否定したくなったり、もっとひどいことがあるのかもしれない、そしてそれがいつ思い出されるかわからない、と思い、怖くなることもある。
 でも、覚えていること、思い出されたこと。それは本当にあったことなのだ。自分を責めるのはやめよう。そして、やたらと不安がるのも、やめよう。あるかもしれないし、ないかもしれない。そのことに振り回されて、ほんとうに大切なことを見失わないようにしたい。  




リンダの祈り―性虐待というトラウマからあなたを救うためにリンダの祈り―性虐待というトラウマからあなたを救うために
(2003/06)
リンダ ハリディ=サムナーLinda Halliday‐Sumner

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※こちらは性暴力に理解のある方のみに限定させていただいています。
 別館にも同じエントリをあげています

言葉にできない孤独

私には、被害そのものの記憶がない。

いつなくなったのかはわからない。

フラッシュバック注意、と書かれてあっても、よく意味がわからなかったくらい、
いつもいつも被害が頭の中で再演されているような状態だったりもした。
でもそれさえも、断片的ではあった。

被害直後、警察に行ったとき。そのときは記憶はあった。
起きたことをそのまま話した。それは間違いない。

だけど。検察に呼ばれるまで少し間があったのだけれど。
その短い日数の間に、どんどん記憶が薄らいでいった。
忘れるというよりも、脳の中に膜がかかっているような感覚だった。
そんなことは初めてで。
そんな自分に混乱した。
あれだけのことを、どうして、忘れてしまうのだろう、と。
こんなに短い日数で記憶が薄らぐということは、経験したことがなかった。

嘘だと思われたくない。
どうなるのかまったくわからないまま、とにかく必死だった。
出てきたら殺される。
ちゃんと話さなくては。
その一心だった。

必死で忘れないようにすると、どうしても思い出さざるを得ない。
常に考えていなくてはならない。
そうすると必然的に、生活に支障が出る。まともに立っていられない。
考えないようにしないと生活できない。


そうやって必死で暮らしていたのだけれど、
私の心の中でそういった葛藤や苦しみがあったことは、周囲には言えなかった。
直後に連絡をした、当時の恋人しか被害のことは知らなかった。
自宅に戻ることができず、そのまま居候することになった。

友人には知らせられなかった。
付きまとわれている間のことも、
友人には、あまりのことに話せなかったし、話すエネルギーさえなかった。
へたに何とかしようとしてくれて、よりひどいことになるのを恐れた。
誰にでも簡単に危害を加えることを何とも思わない相手だったから。


なにより、つきまとわれている間のおかしな状況を、
うまく話せる自信がなかったし、言葉にできないほど、無力感でいっぱいだった。
早く殺して欲しいと思ったくらいだった。ずっとナイフをのどにあてられているような感じ。
ようやくあきらめてくれたかと思ったとき、被害に遭った。


恋人には、支えてくれているのに申し訳ないと思ったし、迷惑をかけてはいけないと思った。
何が起きたか知っている恋人からも、
そして何も知らない周囲からも、一見、普通過ぎるほど普通に暮らしているように思えただろう。


でも実は、後ろからの足音というのがとても怖くて、
自分の後ろに誰かがいる、というのがとても怖くて。
たとえば電車を降りてからも、すぐには動けなかった。
みんなが階段をのぼったりおりたりした一番最後に、
手すりに体をくっつけるようにして、まるでカに歩きのように、
横向きに階段を上ったり下りたりしていた。
後ろがとても怖くて。

でも、このことは誰にも言えなかった。
誰かと一緒にいるときはそんなことはなかったので、誰も知る機会がなかった。
これが一番、日常生活を制限させる後遺症だった。


他にも。
ふとした瞬間に、なにもかもが変わってしまった、と実感してしまうことがあった。
日常のささいなことがきっかけで、それはよくあった。
あまりにささいなことすぎて、それが逆にとても悲しかった。
たとえば、以前は喜んでいたことに何の反応もできなくなったとき。
好きな食べ物、好きな場所、好きなこと。
・・・そういったことにだんだんと無反応になっていった。
時間が経つにつれ、どんどん無気力になり、どんどん何もできなくなった。
ひどい鬱状態と、PTSDに悩まされた。


たちの悪いことに、被害後すぐ、というわけではなかったので、よけいに周囲の無理解を招いた。
被害後すぐというのは逆に、なぜか必死でそれまでの生活と同じことをしようとしていた。


もういいだろう、と言われたときには、心底驚いた。
もう終りにしたいね、疲れたね。
憔悴しきった顔で言われた。


告訴を取り下げろ、という意味だった。


それを聞いたとき、どれだけ、自分におこったことが周囲を苦しめているのか、わかった。
そして、自分が必死に普通に暮らそうとしていることで、
どれだけ苦しんでいるのかが理解されていないのも痛感した。
この人さえも、「大げさにさわいで」という感覚でいるのか、とさえ思い、絶望した。


でも、どうしても告訴取り下げはできなかった。
「ふつうにかんがえて、もう何もしないよ。今度なにかしたら、おわりなんだから」
そう言われたけれど。


その「ふつう」が通用しない相手なのだから、こういうことになったのだ。
その異常さ、怖さを知り尽くしている私には、納得できなかった。
私のふだんいる場所も、ふだんどこに行っているのかも把握されている。
実家も、家族も、友人も。


訴えたくて訴えたんじゃない。今ならそういえるだろう。
終りになんかならない。また恐怖の始まりだと、言えただろうか。
だけど。当時の私はあまりに若く、自分の気持ちを表現する言葉を持たなかった。
あまりに混乱し傷ついていた。


こんなに苦しいのに。こんなに傷ついているのに。

そう言えたら何かが変わっていただろうか。
小さい頃から我慢をするのが当たり前だった私には、
自分のつらさを主張するのはとんでもなくワガママなことと思えた。
自分が我慢することで丸く収まるのなら、と、我慢し続けていた生活だった。
それを破れたのは、ほんとうに、ここ2.3年だ。


結局、一緒にいるのがつらすぎて、その恋人とは別れた。
私から切り出した。
ようやく最後に、無神経な発言をいっぱいした、と途切れ途切れに伝えた。
それが精一杯だった。
そのとき初めて、私がどれだけ我慢していたかを彼も気付いたようだった。
はっとした顔で、ごめん、と言われたけれど、
もう何もかもが遅すぎた。


今ならわかる。
あのことがなくても、きっといつかはそうなる運命だったのだと。
あまりに価値観が違いすぎた。
大事にするものが違いすぎた。
でも、当時の私には、彼しか助けてくれる人はいなかった。
頼りすぎていたと思う。
だけど彼はよく、「肝心なことは頼らないね」と私に言っていた。
すれ違いが大きかった。

おたがい未熟で、おたがい伝えるべきことを伝えないでいた。
相手を尊重しながらも自分の気持ちを伝える、ということができなかった。
重要なことに、きちんと向き合って話しあう、ということができなかった。
話題にするのは怖かった。
口にすることさえ苦痛だった。
彼も同じだっただろう。


ここ最近、ようやく、自分の過去の経験に真剣に向き合っているけれど。
ふしぎと、断片的にしかやはり記憶がない。

まず、被害そのものの記憶はない。
イメージのようなものしかない。
それも、しかも、まるで幽体離脱のように、
私の目は私の顔の中にはなく、部屋の天井にうきあがって私を見下ろしている。


そして、被害前後の記憶も曖昧だ。
ただ、何かいやだ、と感じるものには、かなり関係しているものが多いとわかった。

そして、二次被害、三次被害と続いた地獄のような日々。
ほんとうに、肝心なところが記憶がない。
かなり混乱した記憶となっている。


あまりに辛すぎる記憶は抑圧される。
だが脳の中から消滅したわけではないので、
なんらかのきっかけ(思い出させるような状況、よく例えられるのが音や匂い等)で、
記憶のふたがあきそうになり、苦しくなる。
そういう説明を受けた。


当時は誰もそんなことを教えてくれなかった。
その知識があれば、どれだけ楽になっただろうか。

私だけが異常なのか、頭がおかしくなったのかと悩んだ。


でも、多くの被害者の方の話を聞いて、
被害そのものの記憶がないのも、
まるで幽体離脱のような状態なのも、
ふつうだとわかった。

人間の心ってすごいね、と変に感心して笑いあった。
これは同じ被害に遭った者同士だからできる会話。
ふつうならわかってもらえないこと。
それを安心して話せる相手。

たくさんのつながりが、救いとなることもある。

そういうつながりを、たくさん見つけていきたい。



私がとても好きな本。

リンダ・ハリディ=サムナー著 「リンダの祈り」

「リンダの祈り」 p1~3 「まえがき」より引用

 この23年間、カナダで性虐待の専門家として、被害者が加害者を告訴した際の法廷支援を中心に仕事をしてきました。これまでに支援した人の数は5000人を超えます。こうした仕事をはじめた理由は私も被害者の一人だからです。
 私の人生は長いあいだ危機と混乱の連続でした。6歳から16歳までの10年間、父から性虐待を受けました。祖父にも性的な接触をされています。自暴自棄におちいって14歳で売春に走り、少年院に送られたこともあります。28歳までに、何人もの男に強姦されました。そして、心の痛みを忘れるために何年間も、精神安定剤に依存し、お酒に溺れ、不倫を重ね、自殺も図りました。
 このような経験をしてきた私が本書を出版するには、理由があります。どのような虐待だろうと、虐待を受けた側に責任はないということを伝えたかったのです。虐待を受けた多くの人は、すべての責任は自分にあると感じて、無力感でいっぱいになっています。けれども、あなたに責任はないのです。
 同様に、虐待を受けた多くの人は、自分は一人ぼっちだと感じて、孤独におちいっています。しかし、決してあなたは一人ぼっちではありません。
 たとえ激しい心の痛みを経験したとしても、それを癒して乗り越えることができる、人生は自分の力で生きていくことができる、希望の光はある、と伝えたかったのです。本書を通じて、私の得てきた経験と知識をみなさんと分かちあいたいと思います。
 また、被害者だけでなく、被害者の家族や友人、深い心の傷を負った人をサポートする人たちの、性虐待被害者への理解と共感をもたらす助けとなることを望んでいます。そして、性虐待を私たち社会の問題として、多くの人たちに伝えられることを強く願っています。(中略)
 よい思い出も、思いだしたくないことも、すべての人生経験が、今の自分を築き上げているのです。それらの経験とどう向きあうかは、私たち一人ひとりにかかっています。
 本書が、あなたの人生を創造的に再構築できるツールとなることを望んでいます。どのようなツールでも使い方は一人ひとりにゆだねられます。知識と経験は力です。ここに書かれているメッセージのすべては、私から日本のみなさんへのプレゼントです。
 あなたの心の暗闇に光が射しこむことを、心から祈っています。
                                   
                                     リンダ・ハリディ=サムナー

 



リンダの祈り―性虐待というトラウマからあなたを救うためにリンダの祈り―性虐待というトラウマからあなたを救うために
(2003/06)
リンダ ハリディ=サムナーLinda Halliday‐Sumner

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大好きな本です。この本と、リンダさんと出会えたこと、感謝しています。



※こちらは性暴力に理解のある方限定です。別館にも同じエントリをあげています

それでも、過去のこと。

以前のようなひどい鬱状態には、ならなくなった。
でも。
ときどき、心がざわざわするような感覚で、苦しくなるときがある。

いつのまにか体に力が入っていて。
奥歯を強く噛んでいる自分に気付いたり。
肩に力がはいっていて、肩こりや頭痛に悩まされたりする。
胃が痛くなったりおなかが痛くなったりもする。


そういうことさえに、気付くことさえできなかったこともあった。
そのときはもっとずっと苦しかった。何が苦しいのかさえわからなかった。

今は、早めに気付くことができる。
そして、なるべくリラックスできるよう、良い香りのする好きなお茶を入れたり。猫を撫でたり。
自分にとっての“おまもり”を触ったり握ったり。目に付くところに置いておいたり。


いつもは、そういったことでかなり気持ちを楽にすることができていたのだけれど。
ここ最近は、“事件”となったこと以外にも抱えているトラウマを想起させるような出来事が相次いで。
ほんのちょっとしたことなのだけれど、それがきっかけで、少しずつ少しずつ、ひりひりと記憶のどこかが痛み出して。小さな痛みも相次いでたくさん起きると、まいってしまうと知った。

辛かった。

いっそすべて放り出して逃げてしまおうかとさえも思った。
今は、嫌なものは嫌だと言える。
適当な理由を口実として断ることも出来る。


距離を置きなさいと言うだろう人の顔を思い浮かべ。
なんとなくそれは違う気がして、黙っておこうと決めて。

何がクリアになれば出来るのか。
でも、だけど、という言葉をどんどん出しながら、自分の正直な気持ちが出てくるのを待った。


クリアになれば、と思っていることの確認さえとれない状況。
出たとこ勝負というきわめてデンジャラスな状態。


結局は、嫌だったらいつでも帰ればいい。

そう決めて。
他に楽しみを決めて、それならいいね、と“わたしのなかのちいさいこども”がオーケーを出し。
重い荷物を振り捨てて。
少し心を軽くして。


そして行ってきた。

久しぶりの故郷は、なつかしくて、そして、変わっていた。
景色も変わり街並みも変わり。
でも、なにより、人が変わった。

いる人たちも、たくさん亡くなって。
いた人も、たくさん出て行って。
逆に、当時はいなかったのに、帰ってきた人もいる。


いちばん変わって欲しかった人は、すこし変わっていた。
会いたかった人にも会えた。


小さい頃と見え方も感じ方も違う。
景色も、人たちも。


ああ、ほんとうに過去になったんだ。

そう、思うことができて。
確認することができた。


いくらカウンセラーに言われても、ほんとうにしみじみ体感するまでは、
なかなか納得できなかったこと。
トラウマのなせるワザ。


今は安全。
今は逃げることもできる。
今は、はっきり言うこともできるし、それで相手が怒っても、苦しまずにすむ。
不快なことがあれば、席を立つこともできる。
場の雰囲気を壊したなどと思い悩むこともしなくていい。
余裕があれば、適当な口実をつくることもできる。


なにより、わたしはわたしの“ホーム”に帰ることができる。
今の私の場所。
これからの私が拠点とするところ。


もう無力なままじゃない。
いやなものはいやと言える。
怒鳴られたら怒鳴り返すくらいできる。


なにより大事なこと。
ひとりじゃないと思える。
わたしは自由だということ。
感じることは、感じるままでいいんだ。


支えてくれた人すべてに、ありがとうと伝えたい。
ありがとう。

Appendix

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    ※ こちらは性暴力被害当事者、性暴力に理解のある方、管理人と友好関係にある方向けです。   
    ※ 上記に該当しない方は別館 へお願いいたします。
    ※ 被害者を傷つける内容、また理解しようという努力、対話する姿勢が感じられないコメントはお断りいたします。
    ※ この場の安全を守れないと判断したコメントは削除もしくは承認しません。節度のある言動をお願いいたします。

    ※ 引用する際には必ずTBをお願い致します。ただし性暴力被害者が傷つく可能性があるものは、承認しない場合があります。

    プロフィール

    てん

    Author:てん
    メール:

    (※★→@で送信可)
    itisnot_yourfault★yahoo.co.jp


    性被害にあって十数年たちます。
    刑事裁判経験者です。

    二次被害三次被害等、過酷な経験をし、性被害の後遺症もところどころありますが、それでも、わたしは生きています。今は、生きていてよかったと思います。

    だから、同じ被害にあったあなたたちに伝えたい。
    あなたは何も悪くない。どんな事情があったにしろ、あなたは悪くないのです。どんな特殊性があったにしろ、望みを捨てないでほしいのです。

    悪いのは加害者であり、無理解な社会です。あなたは、何も変わってなどいない。とても素敵なところをいっぱいもっている、素敵な人のままなのだから。


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