Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

コメント

[C250] 性被害者の現実

いつもブログをありがとうございます。
こちらを知ってから、苦しんでいるのは自分だけではない、
過去はそれぞれ違っていても、苦しみややりきれなさを理解しあえる場所があるとわかって、慰められると同時に、以前よりも自分を素直に受け止められるようになってきました。

お忙しい中更新していただいているこちらのブログは、とても貴重で、感謝でいいっぱいです。

今回はいつにもましてうなづいて読みました。

私は、警察・裁判のことは体験しておらず、まだ知識もなくて、わかっていません。

でも、よくわかります。
今まで漠然と感じていた世の中に対する恐怖・無力感の原因が、こちらのブログで証明してくださっている気がします。

私たちは本能的に嫌悪感を抱きながらも、「こういう決まりだから」と強制的に従わされている。
そして被害にあっても、「自らすすんでしたことでしょう?」と言われる。

「いい子」「優しい人」でないと「男性から愛されないんだよ、従順社会にも会社にも認められないよ」
小さい頃からずっと強制されている。

「いうことを聞いたら、世の中がよくなる、将来の旦那さんと生涯愛し合って信頼し合っていきていける」
そう信じて、自分のために、世の中のためにがんばって、

そして皆で少しづつ罠にかけて、一人の人生を徐々に破滅させていく。

そこにあるのは、もはや損得ではなく、人間の汚らく醜い心。
自らの幸せを犠牲にする代わりに、他人のものも破壊する。


私は警察にいって裁判をおこせなかったことを、後になって我に帰ったときに、ものすごく悔やみました。

しかしこちらや他の体験をきき、
「はたしてそのときに訴えていれば、今よりずっとよかったというわけではなかったかもしれない」
という思いに、はじめてとらわれました。

とてもかなしいパラドックスですが、
初めて「もしかして、今のほうが幸せなのかもしれない」と思った。
もしかしたらもっと打ちのめされ、傷ついていたのかもしれない。

私を長年苦しめていた呪縛の一つから、解放されたような気がする。


>私は、訴えるべきとは言えない。到底言えない。より傷がえぐられ深くなったようにさえ思う。
>だが、訴えないほうがいいという、その現実はおかしいと思う。


この現実を、なんとしてでも変えたいと私も思います。
うわべの「優しさ」「正義」より、「笑顔」より、「いい人」なんかより、
最低限、法律を守ってほしい、正しく使ってほしい。

「人の輪」って、誰のため?
村社会の多数派の人間のためにすぎない。
今の日本の博愛主義は、「マジョリティー」のためでしかない。
マジョリティーのために、マイノリティーが作られ、マイノリティーにされていく。

なぜ、本当に皆が共存できる社会を作ろうとしないのだろう、
本当の幸せ・愛を、命をかけて探そうとしないのだろう。
なんのために生きているんだろう。
どこかがおかしい、どこかに問題があるのに、根本をけして見つめない。
根本を見つめない限り、問題を解決も、真に幸せにもなれはしない。

被害者を見つめないかぎり、性被害者を受け入れないかぎり、
その社会は嘘の社会だと思う。

私たちは透明人間じゃなく、存在して生きているという「現実」を、しっかり逃げないで見つめてほしい。


先日電車にのっていたら、iPODの音が漏れていると注意された。
そのままにしていたら、あとも何度か注意された。

でも、電車で強姦事件があっても何も言わない。
裸の女性の雑誌を読むおじさんや横柄なお兄ちゃんは見て見ぬふり。

「弱い者」いじめの横行する社会には、けして誰も「強い人」などいない。
  • 2009-09-17 00:43
  • allegra
  • URL
  • 編集

[C251] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C252] allegra さま コメントありがとうございます

allegra様

コメントありがとうございました。
仰るとおり、私たちは間違ったメッセージに囲まれて暮らしていると思います。
何か違うと違和感を感じても、「気にしすぎ」等言われたりすると、自分の感覚を信じられるようにならないです。わたしは虐待を受けて育ったからかと思いましたが、多くの方の話をきいて、そうではない共通しているのだとわかりました。

警察や検察や裁判所は、正しいことをする、助けてくれると思って育ちます。
でもそうじゃない。性犯罪に対しては特に。
でも、ふだんは権限、特権をかさに威張り散らしているくせに、都合が悪くなると「決まりだから」と、お役所的に逃げます。
そして、性被害は、被害者の落度が問われます。どんな事情であれ犯罪をしてはいけないのに。
他の犯罪だったらしない扱いを受け続けますね。

>しかしこちらや他の体験をきき、
「はたしてそのときに訴えていれば、今よりずっとよかったというわけではなかったかもしれない」
という思いに、はじめてとらわれました。 <

実は、書くかどうか迷いました。でも、現実を知ってもらわなくては、変えることも、変わってほしいという意図も理解されないと想い、悩み、書きました。

・・・このエントリには他にも、読む人によっては不快なところもあるでしょう。
ですが、性犯罪被害者だけ置き去りにされているのに、厳罰化ではなく適正化なのに、それが理解されていません。その原因と私が思う点を書きました。少しでも理解してもらうために。

性犯罪は、一人の加害者が何百人という被害者を出す、社会的な犯罪です。
そこに目を向けてほしい、という想いです。
殺人は怨恨、通り魔、いろいろあると思います。被害者の方、ご遺族の方のお気持ちを否定するつもりはありません。尊重すべきだと思います。ですが殺人だけ凶悪犯罪のように扱うのはやめてほしいのです。

性犯罪に遭うと、生き地獄です。
何度、あのとき殺されていれば、こんなに”落度”を責められることもなく、同情されただろうと思ったかわかりません。ひどいPTSD,鬱状態。働きたくても働けない生活。生きることが困難です。
そしてこれは、私だけでなく多くの被害者が思っていることでもあると知りました。

私は警察に助けを求めたとき、笑われるかもしれませんが殺人未遂で逮捕されると思っていたのです。あれだけ首を絞められたのですから。
性犯罪でも殺人、そして殺人未遂はもちろん起こっています。ですがその差はなんだろうと思うのです。殺意があるかどうかは加害者の気持ち一つで決まります。被害者にとっては恐怖は変わりません。
大切なたましい、こころの部分が亡くなってしまうという、精神的な死は、肉体的な死とは目に見えてはわからないものの、同じではないかと。
ならばいっそ死んだほうがよかった。そしたら加害者は執行猶予などつかずに刑務所に行き、他の女性が被害に遭うこともなく、私が自分のせいと苦しむこともなかったのではと。
ここまで被害者に思わせる社会の現実はいったい何を守ろうとしているのか、理解に苦しみます。

>この現実を、なんとしてでも変えたいと私も思います。 <

想いを同じくしてくださって嬉しいです。
正しい方向に怒りをむけたくても、それができない現実を何としても変えていきたいです。

>被害者を見つめないかぎり、性被害者を受け入れないかぎり、 その社会は嘘の社会だと思う。 <
>私たちは透明人間じゃなく、存在して生きているという「現実」を、しっかり逃げないで見つめてほしい。<

被害者の意見を聴くことを、私たちの言うとおりにしろということと同視し警戒する人もいますが、そうではないのですよね。今までがあまりに踏みにじられすぎてきたのです。
加害者は国民の一人として、逮捕されても、きちんとした扱いを受けているか、心配されていますし、衣食住に困ることもありません。被害者は置き去りにされている疎外感を感じます。
特に性犯罪被害者は。どこにも頼れず公にも訴えることは困難です。

>「弱い者」いじめの横行する社会には、けして誰も「強い人」などいない。<

同じことを、日々思っています。差別のない、多様な生き方ができる社会が、誰にとっても生きやすい社会となるはずです。

[C253] 鍵コメ様

コメントありがとうございました。

読んで、何てひどいことだろうと思い怒りを感じました。少しずつ改善されていっているならともかく、そうではないのかと思い知るたびに、やりきれない思いになります。

性犯罪被害者のみ、調書の作り方を改めてもらえないものかと思います。
あの非効率なやり方、何の得もありません。あるとしたら、先方の思い通りにできるだけでしょう。

最後は「強い処罰をお願いします」で無理やり結びとさせられることが多いように思い、よけいに、正確な気持ちが伝えられないです。最近の殺人遺族によってもたらされた偏りのあまり、厳罰化を警戒する世間の動きも、気がかりです。厳罰化ではなく適正化を求めているのにと違和感を感じる方は多いのではないかと思い、書いたエントリです。

私は「とにかく出てきてほしくない、ずっといつ殺されるかわからなかった、今度こそ殺される、告訴取り下げなんてとんでもない、怖くてできない。でも、刑務所に長く入っていてほしいと言うと、出てきたときに余計こわい」というようなことを言っていたのです。
でも、つまり処罰してほしいということだね、長い刑を願っているということだね、と何度も訊かれました。違うとは言えず、混乱し動揺した精神状態に加え、当時は大人に堂々と意見を主張できる度胸も表現力もなく、最後には頷くしかありませんでした。
結局最後は「厳しい処罰をお願いします」で締めくくられました。他にも同じことをしていたという主張は、証拠はないでしょうということで調書には載らず。どうせ「私」を一人称とした調書なら、「私はそう思っています」、とでも載せてくれればいいのに。

私だけなのかと思っていましたが、最近、ある被害者の方も同じことを仰っていました。
その方は出廷され証人尋問で仰ったそうですが。出廷しないと正しく伝わらない調書、って何だろうとつくづく疑問です。恨みの面だけクローズアップされているように思われて余計理解されないです。

仰るとおり、他にも問題だらけで、とにかく配慮がなさすぎます。
いただいたコメント、どこも激しく同意しました。お気持ちをわかちあえて、嬉しいです。

ありがとうございました。

[C254] お返事ありがとうございました

お返事ありがとうございました。

>わたしは虐待を受けて育ったからかと思いましたが、多くの方の話をきいて、そうではない共通しているのだとわかりました。

虐待を受けたからといって、他人に虐待してよいわけではけしてありませんね。
虐待を受けても、周りを思いやる気持ちをけして捨てない方もいるのだとわかったことも、
とても大きい発見でした。

日本では「加害者は元被害者」「相手の背景を考慮しないといけない」という同情心が、正しさをゆがめ、犯罪者を増長させ、被害者をさらに追い詰め孤独にしているとつくづく感じます。

加害者の背景と、事件そのものは区別して考えないといけない、刑罰とは、被害者・加害者含めて社会に一番よい方法を考えて実行することだと思います。

それなのに、犯罪者は捕まえられてもすぐ放たれてしまう。
おっしゃっているように、個人的な恨みだけで、届け出なり裁判なりしているわけではない。
社会をよくしたい、被害者をなくしたいという個人を超えた思い・正義を守る強い気持ちが身も心もぼろぼろな被害者を奮い立たせている。

犯罪者をかばう人々は、優しいふりをして、自分のことしか考えていない、共犯者と同じ。
それを指摘されるまえに、被害者を徹底的に痛めつけて立ち上がれなくさせてしまう。

なんのためにそこまでする必要があるんでしょうか。
でも自ら必死に探し求めないかぎり、愛も幸せも誰も与えてはくれない、一生自分を憐れんでいきることしかできない。
自分を許し相手を許しさえすれば皆幸せになれる、というのは虚構にすぎない。


>警察や検察や裁判所は、正しいことをする、助けてくれると思って育ちます。
でもそうじゃない。

>書くかどうか迷いました。でも、現実を知ってもらわなくては、変えることも、変わってほしいという意図も理解されないと想い、悩み、書きました。

>・・・このエントリには他にも、読む人によっては不快なところもあるでしょう。
ですが、性犯罪被害者だけ置き去りにされているのに、厳罰化ではなく適正化なのに、それが理解されていません。その原因と私が思う点を書きました。少しでも理解してもらうために。


周りが最初どう思ったとしても、「ありのままの真実」を伝えることが、問題解決の一歩だと思います。
今の日本では、「真実を知る」「真実を探る」ことはタブーに近い。
そうしたら見せしめに徹底的に上からいじめられる。
そうやって真実から人々を遠ざけ、そのもやもの解消のために、一部の被害者・慰安婦をあてがう。
でもそれで本当に幸せなのでしょうか。


>何度、あのとき殺されていれば、こんなに”落度”を責められることもなく、同情されただろうと思ったかわかりません。


裁判をしないほうがよかったのか、死んだほうがよかったのか・・・
助かった命は殺されたまま、殺された命を抱えて生きないといけない。

性犯罪の恐ろしさは、「事件」そのものではなくて、その背景にある社会全体の病魔が集約されている。
性犯罪は、社会の在り方そのものを根底から覆すくらい大きい問題だと本当は皆気づいている。
だからこそ「なんでもないこと」として必死に隠そうとする一方で、ここまでセンセーショナルに扱うのでしょう。
ものすごい矛盾が存在しています。


>ここまで被害者に思わせる社会の現実はいったい何を守ろうとしているのか、理解に苦しみます。


性犯罪者はまともな社会の一員になることを、最初から放棄しています。もしくはそのときは放棄しています。
その代りに、立派な社会人になり幸せな家庭を築く夢のために生きている人の人生を壊すことに喜びを見出します。
壊せば満足し、また新たなターゲットを探します。
そして時間がたちほとぼりがさめたら、「自分も改心したんだから、まともな家庭をもつ権利がある」といいます。
さんざん壊しまくったんだから、楽でしょうね。
仕事も、男社会で被害者が働けないのだから、見つけるのもさぞや楽でしょう。
被害者を下にしてこきつかうでしょう。
子供を育てるお金も環境にもこまらないでしょう。
そして子供も似たような大人になるのでしょうか?
そんな子供ふくめ「児童手当」をだすというのか。
その前にお金を使うべきことがやまほどあるとこの身を滅ぼしてでも言いたい。

そして性犯罪者の裏には、同じように歪んだ、同じ女性を妬み被害をほくそ笑む共犯の女性が必ずといっていいほどいます。
彼女たちは性犯罪者を見逃す代わりに、奪ったものの恩恵と、敵わなかったものが痛めつけられた喜びを享受して生きている。
裏で操って自分では手を汚さない。


「婚活」て浅はかな言葉だと私個人は感じています。
「結婚したい人がいない」というのを多くききます。あたりまえだと思います。
一人の性犯罪者がどんなに多くの女性とそのパートナーの幸せな未来を壊し続けているか、
冷めた気持で結婚して子供を産んで、そこまで無理してしないといけないことなんでしょうか。
それが本当の幸せなのでしょうか。
その前に、もっとすることが沢山あると思う。
愛や結婚は、自然になるものだと私は思うし、それが幸せだと思う。

そういうごく自然なありきたりな幸せを、性犯罪者は壊すのです。

殺人もひどいです。でも種類は違っても、目に見えなくても、ひどいことは他にもあります。

被害者と被害者遺族が違うという話、私も前から感じていました。
別に考え、混同させてはいけないと思う。

うまくいえませんが、するべきこと(いたって明快で簡単)が目の前にあるのに、
それをしないために、物事がややこしくなっているだけで、
まず「するべきこと」をちょっとするだけで、問題はぐんと減ると思います。

「性犯罪の刑罰の適正化」これだけでも実現しないことには、問題はどんどん大きくなるだけと思います。
  • 2009-09-18 13:25
  • allegra
  • URL
  • 編集

[C255] allegra さま コメントありがとうございます

allegra様、コメントありがとうございます。
いろいろなことを考えさせられました。

>加害者の背景と、事件そのものは区別して考えないといけない、刑罰とは、被害者・加害者含めて社会に一番よい方法を考えて実行することだと思います。

そうですね。
同じ背景を持っていても、全てが犯罪者になるわけではないのですから。
性犯罪の加害者は、とても自己愛が強く、ゆえに自分を否定する人間を許せないのだと思います。
そういう人間を育てた人たちが、情状酌量を訴えても、形式ばかりで何の意味があるのでしょう。
加害者の家族は、私の知る限り、みんな異常です。おそらく何世代にわたって。

家族による情状酌量を必ず訴えるのが恒例ですが、本当に、無意味だと思います。
あれこそ、“ショー”です。茶番劇です。
ふつうの人間は家族に迷惑をかけているという認識を持ちますが、加害者は持たないように思います。
何の抑止力にもならないです。むしろ自分が被害者であるような間違った、自己憐憫意識を加速させるだけのように思います。

allegra様も別の表現で仰っていますが、
加害者は、女性と縁がない人ばかりではありません。
妻子がいる人も多いですし、婚約者や彼女がいる人もたくさんいますね。
異常に母親や周囲の女性に愛されている人も沢山います。
息子がそんなことをしでかしても、被害者の女性が悪いと言い切れる(どうやら多いです)のは、笑ってしまうほど呆れ果てます。おかしいです。
現実を見つめない、甘やかしすぎた責任さえ感じることができないのです。

いろんな加害者がいるので、一概には言えないでしょうが、
要するに女性を、大切な存在という認識ができていないのだと思います。

[C256] 何度も申し訳ありません

たびたび恐縮ですが、こちらの場をお借りして、多くの方の目にとまる場所で、
性犯罪の原因について、理解する一助にさせていただきたいです。


>性犯罪の加害者は、とても自己愛が強く、ゆえに自分を否定する人間を許せないのだと思います。
加害者の家族は、私の知る限り、みんな異常です。おそらく何世代にわたって。


究極的には、加害者も「社会によって作られた可哀そうな『被害者』である」、
散々手を尽くし、すべてを失い、絶望しあきれ果てた結果、こういう結論になりました。

彼らは「正当に裁かれることも、罪を償うこともできないまま、周りによってぬるま湯につからされて、いい加減に生き続けなければならない」。
そうやって生きて死んで行く。

彼らを取り巻く環境は、生まれたときからあまりにがんじがらめで、彼らひとりでどうしようもできない。
気づいても、今更そこから抜け出すことは、親や周りがすごい以上、一般人?が思う以上に困難なのでしょう、多分。

彼も私と一緒にがんばって、更生したいと、何度も思ったと思います。
だから、長い間、遠くでもつながっていたんだと思う。

でも、周りの障害が大きく、生まれたときから自分を育んできた環境・価値観といったものをすべて投げ捨てて、新しい環境に身を投じることは、現実には難しく、それが正しいとも限らない。
ある意味人は好まざると、運命を受け入れないといけない。

自由に自己実現して生きる―私にはこれが夢であり、また義務でもあり、許され、自然なことだった、
でも、それが許されない・したくない人々もいるんだと、悲しいけれど長い時間を経ながら悟るしかなかった。

また自己実現して生きることは、自由と同時に孤独であり、所属する場所がない。
この淋しさは、帰属意識の強い人たちにはけしてわかりません。

日本では女性が自己実現して生きることは、かなり難しいです。ほとんど運かもしれない。
女性に限らず、男性もそうでしょう。
社会や会社の言うように生きなければ、村八分にされる。

そのしがらみが強ければ強いほど、ストレスはたまり、向上心や自分らしさを押し込めるさきが、
刹那的な快楽でごまかされる仕組みになっている。
でもそれは、社会全体が虚無・破滅の道だと思う。

それでもその中で誤魔化し生き続けなければならなくて、
息子や旦那・恋人への異常で無意味な甘やかし、
自己実現しているように見える女性への嫉妬と逆襲に駆り立てるのでしょう。

私は、「自己実現」とは、勇気・自立・無欲と思います。
周りに何を言われても、いじめられても、すべてを失っても、自分の信念を貫く。
するとそこからまた本当に手に入れたい強固なものが生まれてくる。

でも、彼らは、一度すべてをすてて、一からやりなおすことができない。
何かを背負っていきる(前科・良心)、別の世界に踏み出すことへの恐怖、
それに立ち向かうリスクより、ぬるま湯にひたり、嘘の愛情にかまけて、甘え甘やかし、
その道具に他人を使ってもいいと勝手に肯定している。
「自分は我慢してるのに、幸せな人間は身勝手で利己的な輩、だから制裁する」。

「自らを不幸にしているのは自分」「我慢する方向が無意味」ということに、一生目をくらまして気付かないで生きるのです。
でもそうするより他に、今更人間形成されているから、できないのかもしれません。

でも、自分と違う人間を、無条件に不幸にしてよい、懸命に築いてきたものを一瞬にして壊していい、
というのは絶対に間違いだし、社会によって裁かれなければいけない。
「幸せそうな人間」というのは、個人の勝手な判断でしかない。

それを一生わからなくても、若い時だけわかってなかったにしろ、
一度被害を与えてしまったら、けして取り返せない。
加害者にはただのきまぐれでも、被害者には人生の歯車が一気に狂い、ビルの崩壊さながらに
未来が崩れていくのです。
でも、さら地になって、一からもっと立派で本物のビルを、建てることもできます。
でも、ものすごい虚無感と犠牲と困難によって、挫折する人も多いです。

犯罪者や共犯者は、自分のしたことを
「何でもない、大したことではない、すぐ忘れられる」
こととして、扱う。
多分、自分や周りががされても、そう思っている。そう生きたほうが「楽」だから。

でもそれは人間として低俗な生き方でしかない。努力も忍耐も何もない。
他人のビルを放火して、ほったて小屋に住むくらいしかできない。
ほったて小屋は立てるのも簡単だから、壊されても、ダメージはない。
皆ほったて小屋に住んでほしいのでしょう、自分たちと同じように。


血縁関係にかぎらず、多くの日本人は加害者に加担します。
職場でも学校でも、嫌というほど感じています。
ほったて小屋よりちょっと上に住めれば、それでいいと思っている。
だからといって、高いビルを建てている人や公共施設を建てている人の足を
ひっぱるのはやめてほしい。
周りはそれを許さないでほしいです。

他人を羨んだり、勝手に恵まれていると決めつける前に、
勇気をもって自分が正しいと思うことや間違いを正すことにエネルギーを傾けてほしい。
そのために我慢を使ってほしい。
他人の嫌がることや不幸になることは、しない優しさをもってほしい。

被害者の声に耳を傾けてほしい。
被害者の声の中にこそ、万人の幸せの鍵が隠されています。
  • 2009-09-20 13:05
  • allegra
  • URL
  • 編集

[C257] allegra様 

allegra様 コメントありがとうございます。お返事遅くなり申し訳ないです。

加害者も被害者も出さない社会にするには、どうしたらいいのでしょうね。
allegra様仰るとおり、彼らは自分たちのおかしさに気づく機会がなかったという点では、かわいそうなのでしょう。
私は、最近は、憎しみというよりも、哀れに思います。
哀れというと、一段見下しているようにも捉えられるかもしれませんが・・・内面的な豊かさを求めることもできず、浅い生き方しかできないのかと。
見下しているのではなく、諦めの境地です。
こういう人間も少なからずいるのだということが。あまりに異常で呆れ果てます。

加害者にならない教育をしてほしい、被害者を一人でも出してほしくないです。
でも現実を見ると・・・その道のりがとても遠いので、、、無力感にうちのめされそうになりますが・・・いちど犯罪者になったとしても、更正することができれば一番いいのでしょう。一人の被害者も出してほしくない身としては、こう書くのも辛いですが・・・
ですが、とても残念ですが、私の知る限り、更正できそうな人はいません。
死刑廃止論が世間を賑わしていますが、日本は今、そういう議論をできるほど、成熟した社会ではないのではと私は思います。特に刑事訴訟システムに関しては知れば知るほど、ありえないくらい遅れていますから。
本当に更正できるのなら、他の被害者を出さないのならともかく、そうでないから、真面目に生きている人たちの安心が脅かされないように、刑務所の意味はあるのでしょう。
どなたかが、司法システムは、やり直す機会をあたえる場とすべき、と仰っていましたが、ふつうの教育もきちんとしていないのに、果たして更正教育ができるのか、私は疑問に思っています。誰が責任を取るのか。理想論と現実は違います。
やり直すという期待のもとに多くの被害者を出しては元も子もない。そういったある意味機械的だった司法の無責任さのツケが今まわってきているのです。

死刑廃止論については考えがまとまりません。
現在、”重大犯罪”とされている、おもに殺人等の犯罪者への議論ですから、何か私にはぴんときません。そういう議論が遠いものに感じるほど、性犯罪は罪が軽いです。

ただ言えるのは、殺人に匹敵する罪だということです。ある意味、殺人よりも苦しみを与えるのではないかとさえ思うほどに。
・・それも一人に対してではなく、
直接人を殺さなくても、何十人何百人の人生にはかりしれないダメージをあたえ、死においやる犯罪です。その周囲の人の人生も大きく狂わせてしまいます。
ですがそれはとがめられない。

ただ閉じこめておくよりも、それはできることならば罪を悔いてもらうことを願いますが、それができないのなら、出てきてほしくないと思います。表面上の悔い改めは迷惑です。
でも、いったん被害者になってしまうと、私怨だのどうのこうの言われ、ややこしくなりますね。

おそらく世間は犯罪被害者の実態を知らないのだとつくづく思います。
一部の遺族の会によって若干知られるところとなりましたが、逆に、彼らのもたらした結果を警戒するあまりの反動も起きていると思います。
反動は、いきすぎるとよくないです。

人ひとりの命は、重いです。
でもそれが加害者の命ばかりを今度は重視されているだけのような気がして、なんとなく落ち着かないです。
私は死刑についてどうのこうの言う立場ではありませんが、あまりに凝り固まった論をみると、そもそも刑罰の意味をわかっているのだろうかと世間の風潮を疑問に思います。


>でも、自分と違う人間を、無条件に不幸にしてよい、懸命に築いてきたものを一瞬にして壊していい、
というのは絶対に間違いだし、社会によって裁かれなければいけない。
「幸せそうな人間」というのは、個人の勝手な判断でしかない。

それを一生わからなくても、若い時だけわかってなかったにしろ、
一度被害を与えてしまったら、けして取り返せない。
加害者にはただのきまぐれでも、被害者には人生の歯車が一気に狂い、ビルの崩壊さながらに
未来が崩れていくのです。 <

・・・激しく同意します。言葉にならないくらいです。

>血縁関係にかぎらず、多くの日本人は加害者に加担します。
職場でも学校でも、嫌というほど感じています。
ほったて小屋よりちょっと上に住めれば、それでいいと思っている。
だからといって、高いビルを建てている人や公共施設を建てている人の足を
ひっぱるのはやめてほしい。
周りはそれを許さないでほしいです。 <

・・・歴史的に考えると、ずれがやはり見えてきますよね。
当事者にならないとわからない、高みの見物、とまでは言いたくありませんが、似たようなものは感じます。
というと別の救済手段を、と言われるのですが、それはまたはぐらかされているようで落ち着かないのです。

おそらく実態を知らず報道で知る限りのことでは、そういう考えになるのも仕方はないと思うのですが。
多少、歯の浮くようなセリフですが、法よりも何よりも、たましい、こころ、愛、は重いです。
人が作ったものが、人を良いほうに導いてくれるならともかく、そうではないのを痛いほど感じている身としては・・・落ち着かないですね。


>被害者の声に耳を傾けてほしい。
被害者の声の中にこそ、万人の幸せの鍵が隠されています。 <

ここのところ、悪夢を連日見てしまい、少し疲れてしまったのですが、原因がわかったとともに、勇気をもらいました。
ありがとうございます。
考えがまとまったらエントリあげたいのですが、どうなることやら・・・(苦笑)

[C258] 死刑廃止について

>死刑廃止論が世間を賑わしていますが、日本は今、そういう議論をできるほど、成熟した社会ではないのではと私は思います。特に刑事訴訟システムに関しては知れば知るほど、ありえないくらい遅れていますから。

本当にそうだと思います。
私も死刑は反対です。人が殺されるのは単純に嫌です。

でも、他人を殺しても(実質的な死・内面的な死)、あまりに簡単に許されすぎだと思います。
「犯罪者を生みだしてしまったのは社会の責任」ですけど、「だから許してあげよう」というのは、本末転倒というか、無責任もいいところだと思います。
被害者は「犬死に」です。報われないどころか、存在自体否定されてしまう。
生き延びても、死んだほうがましだと思う。
おかしいと思います。

自殺者がこんなに多いのに、「死刑」はいけないのか。
私は、犯罪者にならずに「自分を死刑にする」人のほうがほうが、ずっと立派だと思います。
それなのに、自殺者は「弱い」と思われすぎています。
自殺する人にも、三浦和義みたいな、自己愛の塊で、真実をうやむやにし、残された者を永久に奈落の底に陥れる、永久に逃げることしかできない人間もいますから、一概には可哀そうとはいえません。
でも、犯罪者・犯罪すれすれで生きる人間がいなければ、自殺しないですむ人間も沢山いるはずです。
その人たちのことを一体どう思っているのでしょうか。


>死刑廃止論については考えがまとまりません。
現在、”重大犯罪”とされている、おもに殺人等の犯罪者への議論ですから、何か私にはぴんときません。そういう議論が遠いものに感じるほど、性犯罪は罪が軽いです。

>ただ言えるのは、殺人に匹敵する罪だということです。ある意味、殺人よりも苦しみを与えるのではないかとさえ思うほどに。
・・それも一人に対してではなく、
直接人を殺さなくても、何十人何百人の人生にはかりしれないダメージをあたえ、死においやる犯罪です。その周囲の人の人生も大きく狂わせてしまいます。
ですがそれはとがめられない。


最初に言わせていただきたいのですが、
多くの人に被害を与えた加害者と、一人だけに与えた加害者と、
世間的には罪はおそらく前者のほうが重いでしょう。

でも、私のように、後者から被害を受けた場合は、傷は深いです。
周りからは「人畜無害ないい人」、でも自分だけには「悪魔」です。
その孤独ややりきれなさは、本当につらいです。
何も知らない周りがその人を仲間だと思い、社会的な恩恵も普通に受けられるとき、
自分は取り残されたと感じる。

「もうしない」ということは、「なぜ私なのか、私ひとりが受けなければいけなかったのか」。
その苦しみを共有してくれる人はいないのです。
性犯罪(殺人も)は多数決で判断することではないと思います。

痴漢がなぜいけないのかといえば、不特定多数の加害者が、一人の被害者に傷を負わせる。
そして「たいしたことじゃないだろ」という。
でも「たいしたことじゃない」が積もり積もって一人の人間にのしかかったとき、その人の人生を破壊するほどの脅威になりえます。

性犯罪が重罪なのは、一人の人にだけ害を与え、苦しめるということです。
そして加害者は、何食わぬ「表の顔」で、すっきりして、元気に社会に参加していくのです。
被害者だけをとり残して。
「実力社会」とは、そういう構造で成り立っています。
そして皆「自分が生き残れれば、少数がどうなろうが、知ったことではない」と思っている。

被害者の人生だけでなく、被害者の家族にも甚大な被害を与えます。
私は両親から「他人に迷惑をかけてはいけない」と言われて育ちました。
なので、家族に迷惑をかけることでしか、心を保てません。
私の両親は、孫の顔を見ることもできず、働けず浪費してすさんでいくわが子を見るのが、
いままでがんばってきた人生の終末なのかと思うと、やりきれないだろうと思います。

でも、がんばればがんばるほど、空回りして、周りから利用され、うまくいかない。
一度被害を受け、それが適切に癒されないと、自分を傷つけ貶める生き方しか、
わからなくなります。
自分を大事にしたいと思っても、その方法がわからないです。

人は自分で自分を大事にするのではなく、互いを大事にしあうものだと思います。
それが「愛」であり、「平和」だと思います。


一つの犯罪をしたことによって、被害が無尽にひろがっていく、
その被害を最小限に抑えることが、せめて世の中がしないといけないことです。
でも今は、犯罪したほうが、被害を受けるよりずっと恩恵があります。
犯罪を摘発し、犯罪者を更生するのは面倒です。
だから犯罪が減りません。

今の社会は、被害者は生まれてから死ぬまで被害に遭い続けろということなのです。
だから被害者にとっては、死ぬほうがましになります。
それでも、「死刑は廃止すべきなのか」。
「性犯罪はたいしたことではない」のか。
とても疑問が残ります。


お疲れの中、いつもご丁寧なお返事ありがとうございます。
おっしゃること、どれもとても正しいと感じますし、当事者にしかわからぬ深みがあると思います。
それを社会に発信していく姿勢は、とても前向きで励まされます。
新しいエントリーも楽しみにしています。


  • 2009-09-22 22:49
  • allegra
  • URL
  • 編集

[C259] allegra様

コメントいつもありがとうございます、allegra様。
昨夜も悪夢にうなされ夜中に起きたのですが、allegra様のコメントを見て、なんだかほっとしてまた眠りに落ちました。
誰かが自分の思いを受け止めてくれるというのは、安心することですね。ありがとうございます。
いただいたコメント、たくさんのことを考えさせられました。

>多くの人に被害を与えた加害者と、一人だけに与えた加害者と、
世間的には罪はおそらく前者のほうが重いでしょう。 <

誤解をあたえてしまったら申し訳ないです。傷は比べるものではないのでしょうけれど、わたしは、
被害者の受けたダメージは、加害者がどういう人間であれ、その人本人の人生へ深いダメージを受けたという事実の重みは変わらないと思っています。

私が最近、世間の性犯罪への認識の甘さを痛感していることで、社会的犯罪なのだと訴えたいので強調しすぎたのかもしれませんが。私の場合、加害者がその後、何百人と被害者を出したことで、とても大きなダメージを私が受けました。なのでどうしてもこだわってしまうのでしょう。
私のせいでもあると思います。・・・このあたりは思い出すのが辛く、あまり詳しく書けないのですが。
私がもっと頑張っていれば、被害者は出なかったかもしれない。そう思うと、会わせる顔がありません。お前のせいだと言われれば、返す言葉がありません。でも、自分の前に被害にあった人に対しては、私はそう思わないのです。

>でも、私のように、後者から被害を受けた場合は、傷は深いです。
周りからは「人畜無害ないい人」、でも自分だけには「悪魔」です。
その孤独ややりきれなさは、本当につらいです。
何も知らない周りがその人を仲間だと思い、社会的な恩恵も普通に受けられるとき、
自分は取り残されたと感じる。 <

私の場合は、もう、明らかに異常で反社会的人格障害とでもいうような加害者だったので、allegra様の複雑な思いをわかっていなかったと思います。申し訳ないです。
なぜこんなに自分が苦しまないといけないのだろう、相手は楽しんでいるのに。私はこれを加害者にもですが、加害者親族に対してものすごく思います。ありえないくらい脅されましたから。恨むだの呪うだの電話をかけてきて、さらには私の実家に知らせるなどと脅しました。

でも、どうやら、私の知っている範囲であったり、いろんな書籍等を読んで思うことですが、周囲からは、一見ふつうの人に思われている人が実は犯罪者だというのが、多いように思います。
いろいろな加害者がいるのでしょうが、どちらにしろ、どうして何も悪くない被害者がこんなに苦しむことになるのだろうと、それがやりきれないです。

(以下、まとまりのない文章ですので、お時間のあるときにでもお読みください。私自身考えがあまりまとまっていないのです・・・)

>私も死刑は反対です。人が殺されるのは単純に嫌です。 <

そうなんですよね。端的には死刑も殺人ですから。さらに実際に刑を執行する人の負担も考えると、死刑にしろ、とは言えないです。


ただ、死刑を廃止にするより前に、仮釈放なしの終身刑がないのに、死刑は犯罪者の人権も守らないといけないという発想が、
今のままの無期懲役でも十分かわいそう、仮釈放なしの終身刑は導入すべきでない、という論が最近目に付くのです。
それで落ち着かないのかもしれません。

終身刑は人格崩壊を招く、ということで人権を守らなくてはという主張があるようなのですが、それってある程度は普通の感覚を持った人のことですよね。
すでに人格崩壊している人は、どうなるのだと思ってしまうのです。世間のいう“人格崩壊”基準と思われるところにはとっくに達している人は残念ながら大勢います。


逆に、死刑廃止に反対する人は、自然死するまで手厚い刑務官の介護を受けて生活するのに税金が使われるのが嫌だという考えもあり。。。
私は、他に犯罪をしないために、刑務所にいてもらうのなら、税金使ってくださいと思ってしまうのです。私の払っている税金は少ないですが。

あちこちの議論を見ていても、本当に”社会から隔離すべき人”は隔離されていないのを感じて、あまりに感覚のずれ、認識のすれ違いの大きさにうちのめされてしまうのです。


死刑廃止自体はいいんですが、その背景に「加害者を許すべき」という発想が強く見えるのです。
その考え自体は否定しませんが・・・だからといって、被害者の、加害者への怒りの感情を否定するのはなんだか違うなあと思うのです。
怒りの感情は、悪いもののように捉えられがちで、我慢は美徳という風潮がやはり日本は強いのではと思います。
そういう世間の常識が被害者を苦しめることを痛いほど知っている身としては。せめて否定しないでほしいとは思ってしまいます。

また・・・私に危害を加えた加害者に限ってですが、一生反省しないのは明白です。これは直接、あまりに異常な人というのに実際に接しないとわからない感覚だと思います。
たぶん、あれだけ異常な人の存在を実際に知る機会がないのでしょう。それは当たり前で、逆にそんな人が沢山いたら問題ですが。
私は他に、同じくらい異常な人というのを見たことないですから。

私個人の恐怖だけで隔離を望んでいるのではないのです。
そして、もしも、その加害者が反省する唯一の機会があるとしたら、残念ながら死刑を言い渡されることしかないです。極端に自分のことを大事にします。自分の体調や怪我に対しては異常なくらい熱心です。自己愛の強い人間は、自分にダメージを与えるという予測に非常に弱いです。
死刑にしてほしいとは言いませんが、その加害者に限ってですが、自分のしたことの重大さを自覚する機会はなくなりますね。
そう思うと、人間らしく悩み反省する機会を奪うことにもなるのではないかとも私は思ってしまうのです。
それが完全に良いことなのかどうか、私にはわかりません。その可能性もどのくらいなのかわかりませんし。
そういう思索的な生き方をそもそも望んでいないということも考えられますし押し付けるのはよくないのかもしれません。
でも、反省してほしいと思います。
初めて人間らしく悩み生きた後には死刑が待っているというのは、残虐だとも思います。でも無期懲役と死刑では、全く受け取る側には違う重みがあるということはわかります。
何より、死刑ならば絶対に出てくることはないですが、無期懲役ならば、長くなっているとはいえ、仮釈放がやはりあります。
無期懲役が実質無期になりつつあるというところしか世間には知られていないように思います。
無期懲役以外の凶悪犯罪は簡単に仮釈放が当たり前のようです。性犯罪の場合はそもそも凶悪犯罪と見なされてさえいないように思います。


私に危害を加えた加害者は、いずれ死刑や無期懲役になることをしかねない犯罪性を持っているから、それを基準に私がいろいろ考えすぎてしまうのでしょう。
逆に言うと、それ以外は私も他の方と同じく、報道でしか知ることができません。
ただ、死刑という括りでの議論には、個別性を無視し、普遍性が取りざたされているように感じ、違和感を感じます。
当事者と第三者とはやはり違うので、せめて第三者が当事者を否定するようなことはしてほしくないなあと思います。
どちらにも違和感を感じることはありますが、自分の思考をじっくりじっくり掘り下げていくと、こういうことかなあ、と理解できるような気もするときがあります。

たぶん私が落ち着かない最大の原因は、死刑廃止存続云々よりも、その背景にある意識の問題です。
加害者と被害者の、人権の守ろう度の差を感じて、実態を身を持って知っている身からすると、さらに偏りがうまれるということが辛いのかもしれません。
犯罪被害者の人権は、本当にないに等しいです。あまり知られていませんし世間は知ろうという感じもしないのですが。


死刑の問題で必ず取りざたされる被害者遺族の気持ちですが、もちろんいろいろな方がいていろいろな思いがあると思います。
ただ、世間があまり理解していないのではと思うのは、その怒りは、加害者への怒りももちろんあるでしょうが、あまりに理不尽な刑事訴訟システム自体への不信と不満が、どこへもむけばのない怒りとなるのではないでしょうか。

それは、犯罪被害者として、その理不尽さを経験しつくした私としては、勝手な推測ではありますが、ある程度あたっているのではと思います。

[C260] すみません

前回で終わりにしようと思っていたのですが、気を遣わせてしまって、大変申し訳ありません。


>私がもっと頑張っていれば、被害者は出なかったかもしれない。そう思うと、会わせる顔がありません。お前のせいだと言われれば、返す言葉がありません。でも、自分の前に被害にあった人に対しては、私はそう思わないのです。


そういう優しいお気持ちでおっしゃられてたことは、十分承知していますので、本当に気にしないでください。
逆に、他の人のことを考えていない自分を反省させられました。

性被害とひとくくりにしても、事件や背景、相手やその後は皆違います。
その自分だけにしかわからない深い苦しみ・孤独、
人は皆そうなのかもしれませんが、被害者にはあまりに重すぎます。


被害に遭ってから、私は自分の中に悪魔がすみついたかんじがして、苦しんでいます。
今まであった他者への思いやりが、げっそりそぎ落ちた感じがあります。

またそのために、今まで理解できないでいた、自分に理由なく敵意を向ける人々の気持ちが、逆にわかりました。
ひどい傷を受けると、無差別に他者を攻撃する人たちもいるのだと。

私は自分の中に住む悪魔と格闘し、疲れ果てて、エネルギーがそれにばかり向けられて、生産的なことができないでいます。
それが悔しくて、さらに世の中を恨みそうで、相手に復讐したくて仕方なくなります。

>ただ、世間があまり理解していないのではと思うのは、その怒りは、加害者への怒りももちろんあるでしょうが、あまりに理不尽な刑事訴訟システム自体への不信と不満が、どこへもむけばのない怒りとなるのではないでしょうか。


たしかにその通りではないかと思います。
だから逆に長い時間がたっても、思い出したり忘れられなくて、加害者や事件に固執してしまうと思います。

また、気付かなくてよかったことに気付かされ(よい面もありますが)、これからの人生がますます不安になってしまって、気付かないで生きている多数の人たちと隔たりがどうしてもできてしまう。

周りが悪いのでも、自分が悪いのでもない、逃げた加害者と裁かない上へのやり場のない怒りが、わが身を破壊しそうで、どうしようもなくなる。
本当に被害者は孤立無援になって追い詰められるのが、今の悲惨な現状だと思います。

でも、多くの人が理解してくれるようになれば、被害者もずっと一般人のように生きやすくなります。
その活動を日々してくださっている多面体さんには感謝と尊敬でいっぱいですし、微力でもなにかお力になれればと願っています。

また、こちらのサイトを読んでいる声をあげられない被害者の方々にも、状況や悲しみの種類は違えど、共通する痛みを少しでも分かち合い、和らげることができれば、被害に遭ったことも無駄ではないと思える気がします。

死刑については、おっしゃられていることが自然に受け入れられます。
死刑廃止に限らず、「男女平等」の裏にある「性犯罪、特に小児性愛」など、今の方向性はとても「危険」な気がしています。

またお時間あられるときに、新しいエントリー期待しています。
ゆっくりお休みになってください。

  • 2009-09-23 23:57
  • allegra
  • URL
  • 編集

[C261] allegra さま コメントありがとうございます

allegra様、こちらこそお気を遣わせてしまい申し訳なく思います。
お返事遅くなり申し訳ありません。少し生活の変化がありネットの時間があまりとれませんでした。

>他の人のことを考えていない自分を反省させられました

それはないと思います(きっぱり)。
allegra様とやりとりさせていただいて、とてもお優しく、とても真摯なお考えをお持ちの方だと私は強く感じています。お知り合いになれてとても嬉しいのです。

>被害に遭ってから、私は自分の中に悪魔がすみついたかんじがして、苦しんでいます。 <

私も、世の中はこんなに悪意に満ち溢れていると知りませんでした。性善説から性悪説に変わったような気がします。いきすぎた感があって、たくさん考えて今の考えは、どちらでもないのだと思います。
ただ、用心深くなることは悪いことではないと学びました。自分の感覚を信じること、自分を大切にすることはそれまでよくないことのように思っていました。そう育てられていました。私の場合、人にあわせすぎていたかもしれません。
自分の直感を大切にして見分けていこうと心がけています。それを核にしようと。

>自分の中に住む悪魔と格闘し、疲れ果てて、エネルギーがそれにばかり向けられて、生産的なことができないでいます。

私にもそういう時期はありました。それだけダメージを受けたのですから、そういう状態もふくめて、それでいいのだと思うのです。
加害者を許す必要はありませんし、自分を傷つけた相手を許す必要はありません。
ただ、そういうふうに思ってしまうご自分をどうか認めてあげて許してあげてほしいと、私は思います。
本当に、allegra様は何も悪くないのですから。

最近教えていただいた言葉ですが、辛い目にあうと、「苦しむ権利」もあると思うのです。

明るく積極的に動き回ることが良しとされている社会では、生きづらいときを感じることもありますが、
そういうときも、今振り返ると、何かとても大切なものを吸収し身につけてきたような気がします。

コメントの投稿

コメント

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://manysided.blog85.fc2.com/tb.php/52-42139d10
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

置き去りにされている犯罪被害者 ― 性犯罪被害者

発信箱:特別な被害者=磯崎由美(生活報道部)


 全国で初めて性犯罪を審理した青森地裁の裁判員裁判を、小林美佳さん(33)と傍聴した。ほとんどの人が声を上げられない中、小林さんは被害を実名で公表し、性被害に遭うということがどんなことかを伝えてきた。

 別室にいる被害女性Aさんがモニターを通して意見陳述を始めた。涙で声が震える。「裁判員裁判だからと注目されて、すごくつらい。それでも法廷に来たのは、この苦しみをどうしても伝えたかったからです」。小林さんも自分の事件の記憶がよみがえり、声を殺して泣いていた。私は筆談で「外に出ますか」と伝えた。彼女は首を小さく横に振り、こう書いた。「Aさんが頑張っているんです」

 法廷で性暴力の詳細を明らかにした検察側を「そこまで言う必要があるのか」と疑問視する声もあった。過剰と思える表現があったのは確かだ。でも小林さんは悲しそうに言った。「そこまで言う必要がない痛々しい事実。そう言われると、その事実を背負って生きる者としては複雑です。性被害はますます語れないものになってしまう

 どうして性被害は犯罪被害の中でも特別な存在になってしまうのだろうか。青森の事件の被害者は2人とも、事件のことを同僚に知られないかとおびえて暮らしているという。周囲の目を恐れ、警察に届け出ることもしづらい社会は、加害者が犯行を重ねていくのに都合よくできているとさえ思える。

 求刑通り懲役15年の判決になったのは、勇気を振り絞り出廷した被害者の力だろう。裁判員の一人は記者会見で「従来の判決が低すぎたと感じた」と言った。裁判員の真摯(しんし)さに思った。司法は性犯罪を軽く見てはいなかったかと

毎日新聞 2009年9月9日 0時01分     ※強調は引用者 

 

小林美佳さんは、裁判だったら耐えられなかっただろうとも、仰っているし、
裁判員裁判で、詳細に読み上げられたら命を絶つともテレビで仰っていた。複雑な思いでいらっしゃるだろう。私も、複雑な思いだ。

私はそもそも、性犯罪については事情聴取からしておかしいと思っている。ポルノのように見る警察官。検察はそこまでひどくはなくても。書く人の意識がある程度反映されてしまう。


性犯罪が司法関係者に特に軽く見られている現実。
性犯罪被害者が、他の犯罪被害者から置き去りにされている現実。

いろいろな方面からそれが見られるのだが、時効撤廃についての動きを見ていこう。

まず、7月には、撤廃に向けて本格的な諮問会議が始まった。森英介法務大臣は、性犯罪を裁判員制度の対象から外すかどうかについては、全く無関心であったのに。


                                           ※以下、強調は引用者

「時効」よ止まれ:公訴時効、殺人事件「廃止」 法相勉強会が結論、法制審に諮問へ      毎日新聞 2009年7月17日 

 ◇遡及可否、慎重に検討

 森英介法相は17日の閣議後会見で、殺人など生命を奪った凶悪・重大な事件については、公訴時効の廃止が相当とする法務省内勉強会の検討結果を発表した。「国民の正義観念が変化し、国家の刑罰権に期限を設けることは適当でない」とした。法改正した場合、改正前に発生し、現在も時効が進行中の事件にもさかのぼって適用する「遡及(そきゅう)適用」も憲法上許されると判断したが、是非はなお慎重に検討するとした。

 殺人など死刑が上限の罪については、05年の刑事訴訟法改正で公訴時効が15年から25年に延びたが、廃止となれば、明治時代の旧刑事訴訟法(1890年制定)で時効制度ができて以来、初の抜本的な見直しとなる。法務省は早ければ今秋の法制審議会(法相の諮問機関)に、刑訴法改正案などを諮問する。

 検討結果では、国民の意識の中に「生命を奪った事件は他の犯罪とは質的に異なり、特別で厳正に対処すべきだという正義観念がある」と指摘。時効制度の存在理由とされる(1)処罰感情の希薄化(2)犯人が一定期間処罰されていない「事実状態の尊重」(3)証拠の散逸--については、それぞれ「社会の処罰感情の希薄化という事情はもはや妥当ではない」「犯人を処罰して社会秩序の維持・回復を図ることを優越させるべきだ」「検察側に重い立証責任を負わせるが、起訴を断念するのは適当ではない」との反証を挙げて、制度の見直しの必要性を強調した。

 廃止の対象は、「殺人など特に法定刑の重い重大な生命侵害犯」とし、傷害致死や危険運転致死など生命にかかわる罪も「均衡上、期間の見直しを行う必要がある」として延長を検討する。一方で、捜査体制の維持や資料保管などの問題点も挙げ、今後十分な検討を要すると付記した。

 法改正前に発生した事件への遡及については、これまで遡及処罰の禁止を定めた憲法39条とのかねあいが指摘されてきたが、「実行時に適法であった行為を処罰したり、違法性の評価を変更して刑を重くするわけではない」として、「憲法上は許される」との見方を示した。一方、05年改正時には遡及適用をしていない点との整合性から、政策上の是非をさらに検討する。

 法相の勉強会は今年4月、(1)時効の廃止(2)期間の延長(3)DNA型情報を被告として起訴する制度(4)検察官の請求で時効を停止する制度--の4案を提示。その後、被害者団体や学者、警察庁、日本弁護士連合会から意見を聴いたほか、国民からも意見募集。廃止と延長を組み合わせた結論に至った。


■解説

 ◇「遺族感情」共感高まり 証拠物保管などに課題

 殺人事件の公訴時効を廃止するか、大幅な延長をするかは、人の寿命を考えれば実効性の意味で大きな違いはないと指摘されてきた。それでも法務省が廃止の方向へ大きくかじを切ったのは、被害者・遺族の思いに共感する世論の高まりが、時効の存在理由そのものを薄れさせたと判断したことが挙げられる。

 しかし、時効を廃止した場合、捜査体制の維持や証拠物の保管など、捜査上のネックは大きい。事件発生から数十年を経た逮捕・起訴で公判が始まった場合、証言者の記憶があいまいになっていることも考えられ、検察側に重い立証責任を負わせる。被告側も反論が困難になることも考えられる。

 こういったハードルをどう克服していくか。遺族感情の尊重から始まった制度改正論議は、今後は学者や実務家を多数交えた法制審議会に場が移る。意義付けとともに、着地点へ向けた具体的な方策を明示することが求められる。【石川淳一】

2009年7月17日


同じ記者の方が、犯罪全体のバランスという点での疑問を、記事にされている。

記者の目:殺人の公訴時効廃止、法改正の前に=石川淳一


 殺人など凶悪・重大事件の公訴時効見直しを議論した法相の勉強会が「殺人罪の時効廃止」の方針を表明した。勉強会を始めた当初から法務省内には消極論が少なくなかったため、明治期以来の時効制度改革に踏み込んだことに私は驚かされた。時効が迫る殺人事件の遺族らの悲痛な叫びが世論を突き動かした結果といえる。一方で、国が悲惨な殺人事件の遺族を救済しようとするあまり、殺人以外の事件の被害者施策や、犯罪抑止といった刑事政策のバランスに目が行き届いているのかどうかという点で疑問が残る刑罰法制のバランスは、社会秩序を守る意味で非常に重要だと考えるからだ。

 時効廃止の方針が出た後、殺人事件の被害者遺族、小林賢二さん(63)に話を聞いた。上智大4年だった次女順子さん(当時21歳)は96年に命を奪われ、犯人は捕まっていない。事件当時、私は同じ大学の同じ学年で、面識はなかったが大きな衝撃を受けた。「法律だから(時効になると)あきらめないといけないのか。理屈抜きに何とかしなければ」。そう考えた小林さんは昨年9月、時効廃止に向け活動を始めた。その思いを聞き、遺族に時効という概念を押しつけるのは酷だと痛感した。被害者や遺族の苦しみは癒えることなどないのだ。

 英国には時効の概念がなく、米国もすべての州法で殺人に時効がない。殺人事件の時効廃止は決して特別なことではない。勉強会が結論を持ち越した、時効が進行中の事件でも廃止する「遡及(そきゅう)適用」も、実現しなければ今声を上げている被害者を救済できないため必要だと思う。

 それでも、バランスという視点に立てばどうか。今回の方針のポイントは、殺人罪を「例外視」したことにある。勉強会の報告書は「生命をあえて奪った犯罪は質的に異なるという国民の正義観念がある」と説明するが、殺人以外の罪については時効延長を検討しつつ「どこかで線を引く必要がある」との見解だ。


 07年に時効を迎えた強姦(ごうかん)被害を実名で告白する小林美佳さん(33)は「性犯罪被害者が、ますます被害者の中で置き去りにされる疎外感を覚えた」と感じている。美佳さんには同様の被害者からの相談メールが1年で1500件を超えたが、このうち警察に届けた人は10人ほど、裁判にたどりついたのはたった3人。あまりに多くの被害者が、被害を訴えられないまま一人、胸の中で時効を迎えている。こうした人たちには時効廃止とは全く別の施策も必要だ

 一方で、交通事故の被害者団体は、交通死亡事件の時効廃止を訴えている。突然家族を失った悔しさや悲しみが根底にある。

 だが、人員や証拠保管の問題を背景に、事件が長期化するほど捜査態勢は縮小する傾向にある。日本弁護士連合会は「時効廃止で本当に被害者や遺族が期待する犯人検挙が可能となるのか」と疑問を投げる。04~07年に時効の成立した殺人事件は193件。この間、時効成立後に犯人が判明したのは3件に過ぎない。

 オウム真理教の事件を受けて被害者施策の重要性が叫ばれ、05年には犯罪被害者等基本法が施行され、改正刑事訴訟法施行で殺人罪が15年から25年に延長など公訴時効も見直された。刑事裁判への被害者参加や損害賠償命令、少年審判の傍聴なども法改正で制度化された。それまで被害者を「かやの外」に置いてきた司法を変えた意味で高く評価されるべきだが、これらの流れの中心にあるのはあくまで重大事件の被害者であり、必ずしもすべての被害者のために立法されたとは言い難い。

 被害者の声を受けた制度改正を、成城大の指宿信(いぶすきまこと)教授(刑事訴訟法)は「厳罰だけを是とする市民感情を取り入れた刑罰のポピュリズム」と指摘する。「被害者施策は『整った』のではなく『偏った』。一部の要求が実現したに過ぎない。施策が進んだというのは幻想」とも言う。

 厳罰化の流れの中で、市民の応報感情は立法作業に色濃く反映されつつある。それは国民の求めでもあり、自然な反応とも言える。私が指摘したいのは、被害者の声に押された形での立法を繰り返すのではなく、真に被害者全体を救済する広範な政策を進めてほしいということだ。

 声の上げられない被害者への対応新たな事件発生を食い止めるための犯罪防止や、刑務所出所者の再犯防止を図る総合的な施策。迅速な検挙のための予算や法制度による捜査体制の強化。被害者への経済的、精神的ケアのさらなる充実--。法務省は早ければ今秋の法制審議会に刑訴法改正案などを諮問する。時効廃止という大転換を機に、こうした政策をはじめとする広範なテーマに視野を向けて議論を深め、あらゆる立場の国民に説得力の持てるバランスある制度を提示してほしい。(東京社会部)

毎日新聞 2009年8月21日 0時04分



8月30日は衆議院の選挙だった。
自民党の劣勢が伝えられ、民主党政権の実現が目に見えてきたとき。
動きが起こった。政治的な案件ということだ。

重大犯罪の時効撤廃、法務省が諮問先送り方針

法務省は、殺人罪など重大事件の公訴時効撤廃を盛り込んだ刑事訴訟法改正に関する原案について、9月17日に開かれる法制審議会への諮問を見送る方針を決めた。

 法制審の日程が衆院選後の組閣直後に当たる上、現時点では撤廃に慎重な姿勢を示している民主党の動向を踏まえ、この時期の提出は適切ではないと判断した。時効撤廃は犯罪被害者の切実な声から同省が改正に乗り出したものだが、政治情勢の影響を受けることになった。

 今回の時効撤廃案は、森法相が今年1月、制度のあり方を再考するため設置した勉強会で議論された。政務官や同省幹部により検討が行われ、7月、殺人罪など特に重い罪の公訴時効を撤廃すべきだとの報告書をまとめ発表した。

 これを受け、同省は審議のたたき台となる原案作りに着手。9月17日に予定される法相の諮問機関・法制審議会へ提出する方向で調整されていた。

 一方、民主党は刑事政策の一つとして、刑罰のあり方を考えるプロジェクトチーム(PT)で今年、公訴時効制度の見直しについても論議を始めた。今回の衆院選に伴い発表した政策集では、法定刑に死刑が含まれる重罪事件で特に悪質な事例について、「検察官の請求によって裁判所が公訴時効の中断を認める制度を創設する」とした。完全な撤廃には慎重とみられる。

 さらに、PTは犯罪被害者側の要望と、容疑者側の権利擁護のバランスをとることを重視。冤罪(えんざい)防止などの観点から、取り調べの録音・録画(可視化)を広げるべきだとの意見が強いという。

 これに対し、同省はすべての刑事事件について取り調べを可視化することには難色を示す。PTでは「時効見直しを考えるなら、可視化をさらに進めるべき」という意見も出ているため、同省は現政権下で進めてきた政策と符合しない可能性も考慮し、法制審への諮問を見送ることにした。

 ◆選挙後も議論を◆

 犯罪被害者遺族の長年の願いがこれで途絶えるものではない。法制審での審議は、2004年に殺人罪などの時効が15年から25年に見直されて以来の大きな動きだっただけに、被害者側からは懸念の声も出そうだ。しかし法務省刑事局は「実務上、新内閣や大臣の考え方を聞かなければならない。見直しの方針に変わりはない」としている。

 優勢が伝えられる民主党も、現行の時効制度について問題意識を示す。未解決事件が多く、犯人が逃げ延びてしまうこともある現行の制度を見直すという点では方向性は同じだ。衆院選後も実りのある議論が続くことを期待したい。(社会部 中村亜貴)

(2009年8月26日03時14分 読売新聞)



そして選挙後、民主党の圧倒的勝利を受け、最近の動き。

殺人事件遺族の会:「時効見直しを早急に」新政権に訴え

 凶悪事件の公訴時効撤廃・停止を求めて結成された「殺人事件被害者遺族の会(宙=そら=の会)」(宮沢良行会長、21事件遺族)は、東京都葛飾区の上智大生殺害事件(96年)と愛知県豊明市の母子4人殺害事件(04年)の発生日にあたる9日、葛飾区内で緊急集会を開き、民主党を中心とする新政権に対し、時効問題の速やかな検討を訴えた。

 民主党は「刑罰のあり方検討プロジェクトチーム」で、公訴時効見直しについて議論を進め、今年4月には宙の会からヒアリングした。衆院選のマニフェストでは時効問題に言及しなかったが、7月17日現在の政策議論の到達点をまとめた「政策集2009」の中で、「法定刑に死刑が含まれる重罪事案のうち、特に犯情悪質な事案について、検察官の請求によって裁判所が公訴時効の中断を認める制度を検討する」と盛り込んでいる。

 一方、森英介法相の法務省内勉強会は7月17日、殺人など生命を奪った重大事件について「公訴時効の廃止が相当」と結論づけ、現在時効が進行中の事件にも法改正の結果を遡及(そきゅう)させることも「憲法上可能」とした。法務省は勉強会の検討結果を、新政権の法相に伝えた上で、法制審議会(法相の諮問機関)に、刑事訴訟法改正案を諮問する方針とみられる。

 緊急集会では冒頭、世田谷一家殺害事件(00年12月)で長男一家4人を失った宮沢会長(81)が「私たちと同じような苦しみを誰にも味わっていただきたくない。事件抑止のために、時効見直しを早急に進めてほしい」とあいさつ。上智大生殺害事件で次女を失った小林賢二・代表幹事(63)は「新政権は『国民の生活が第一』と主張している。国民の安全につながる時効制度の見直しを、喫緊の課題として受け止めていただけると確信している」との緊急声明を読み上げた。新しい法相にこの声明文を提出する。

 上智大生殺害事件は96年9月9日、小林順子さん(当時21歳)が首などを刺され殺害された。母子4人殺害事件は04年9月9日、豊明市の加藤利代さん(同38歳)と子供3人が刃物などで殺害された。いずれも自宅は放火された。【山本浩資】

 ◇宙の会緊急声明(要旨)◇
 私たちは、かけがえのない家族の命を失いました。一方、命を奪った未解決事件の犯人は逃亡し、時効が来れば一切の責任を負うことなく堂々と生きていけるのです

 命の尊厳を極める社会こそが安全な街との目標を定め、時効撤廃こそが道理ではないかと訴えてまいりました。国民の声、法務省の対応、各党のヒアリングで、撤廃の方向性に光明を見いだしているところです。

 新政権で方向性が一層加速することを期待しています。「国民の声」を重視し、「国民の生活が第一」と掲げる政策から、国民の安全につながる時効見直しは、喫緊の課題として受け止めていただけると確信しています。

 時効撤廃で、公訴提起(起訴)の機会を残し、責任を問う機会を保つことが、正義の実現と言えるのではないでしょうか。




私は、性犯罪被害者だ。同時に、犯罪被害者でもある。

だが、犯罪被害者は、性犯罪被害者を除け者にする。そういうつもりはなくても、現実にそうだ。置き去りにされているのだ。(上の記事に書かれている方たちのことではない)

実は、裁判員制度のことでも、あちこちの犯罪被害者の会にもSOSメールを発信し、声をかけたのだ。守秘義務については同じなのではという思いがあったから。
だが反応はなかった。

他にも同じようなことはずっとずっと繰り返し起きている。


置き去りにするならば、特別に扱うつもりなのかというとそうではなくて、都合が悪くなると「性犯罪だけ特別扱いする必要はない」とこういうときだけ同じ扱いをすることを主張する。
要するに、何も考えていないのだ、性犯罪に対して。


また、犯罪被害者と犯罪被害者遺族は、違う。もちろん遺族の方も犯罪による被害で家族をうしなったのだから、被害者ではあるだろうが、害を被った本人とは違う。

犯罪被害者の地位向上は、犯罪被害者遺族の一部の力ある人々によってもたらされてきた。
なので、社会一般の目から見た”犯罪被害者”への眼差しは、犯罪被害者本人の立場からすると違和感を感じる。


被害者だって国民の一人なのだ。
厳罰化や処罰感情だけで生きているわけではない。
厳罰化というと、加害者本人への個人的な恨みという面がクローズアップされているように感じる。
本人への個人的な恨みであれば、刑事裁判などしない。

私は、訴えるべきとは言えない。到底言えない。より傷がえぐられ深くなったようにさえ思う。
だが、訴えないほうがいいという、その現実はおかしいと思う。

どうして訴えたかというと、助けてほしかったからだ。身の安全を保障してほしかったからだ。
助けを求めただけだ。当たり前のことをしただけだ。
正義とは、当たり前のことではないのか。

性犯罪の場合は特に、その当たり前のこと、正義が叶わない、あまりに加害者が守られ被害者が貶められ、まるでこちらが犯罪者であるような扱いを受ける現実に、うちのめされる。


強姦罪が親告罪であるのが問題だ、と言われているし私も問題だとは思うけれど、それは訴えないと犯罪としてしか扱おうとしない、訴えても告訴取り下げを強要されるような現実だ。
実際に、親告罪ではない強姦致傷罪や集団強姦罪でも同じことが起きているからだ。
性犯罪では、犯罪を犯罪と認知しないことが問題なのだ。


刑事裁判は、民事裁判とは違うのだ。
厳罰化、処罰感情と非難し警戒するよりも、裁判の意味をまずきっちり理解してほしいと私は思う。


そして、被害者だって国民の一人であることを忘れないでほしい。
被害に遭ったその瞬間から、別の人間、国民ではないように扱うのは勘弁してほしい。
加害者は、逮捕されても自動的に国選弁護人が付く。弁護人に会いたいと希望すれば会うことができる。衣食住に困ることもない。


だが被害者は、弁護士を頼むのも大変だ。探すのも簡単ではない。特に性犯罪に関しては、理解ある方の方が少ないのだから。
そして、検察官は、被害者には最低限の情報しか与えない。被害者が疑問に思ったり説明してほしいと思う点があっても、検察がその必要はないと判断すれば、無理だ。
会うことも電話することも、自由にはできない。

加害者は自分の都合で弁護人に会うことはできるのに。
弁護人は、被害者の情報も入手できる。調書も。そして戦略をたてることができる。
だが検察官は、今まであまりに勝手にしてきていた。被害者の意思をふみにじることさえ平気で。


被害者がどういう扱いを受けてきたのか、性犯罪被害者は中でもどういう扱いを受けているのか。
厳罰化や処罰感情と決め付ける前に、知ってほしいと思う。

逮捕されても衣食住に困ることのない加害者と違い、
被害者は、人生を奪われるに等しいダメージを受けても、働きたいのに働けなくても、何の経済的支援もない。



厳罰化が騒がれているが、性犯罪の場合は今までの刑が軽すぎたのだから、前にも少し述べたが、仮に刑が従来より重くなっても、厳罰化ではない。適正化だ。

被害者は、適正化を望んでいる。むやみやたらと重くすればいいと思ってはいない。
逆に、軽くするならば、絶対に、再犯をしないという保証がほしい。


性犯罪は、他の犯罪とは違う。
何百人と殺人をすることは難しくても、何百人と性犯罪を行うことは、性犯罪者にとっては簡単だ。


性犯罪は、外国のデータでは、数十人から数百人の被害者を、一人の加害者を出す。
カナダでは、平均73人だ。


日本は、加害者を処罰しようともしない傾向が強いのだから、もっともっと多く、おそろしい数になっているだろう。
簡単に野放しにしろというのならば、社会的不利益をどう考えているのか。


前にも少し書いたが、私に危害を加えた加害者は、何百人の女性の人生に破壊的ダメージをあたえ、それでも、たった懲役6年数ヶ月だ。
仮釈放されるかどうかは、刑の3分の一終了した時点で審査の対象になるそうだ。態度や事件によって異なるという。その明確な基準はないようだ。あるかもしれないが内部の極秘事項だろう。
だんだん仮釈放が厳しくなっているから、3分の1ではおそらくならないだろうが、はっきりとは言えない。次はいついつに連絡してくれればわかる。それが回答だった。

私はしょっちゅう確かめないといけないのだ。あの、悪魔がいつ出てくるのかを。


自分のためだけではない。
他の女性に何百人と同じ事をしたのだ。
またそれが繰り返されるなんて、私にはたまらない。


時効撤廃を求める犯罪被害者の方のお気持ちを否定するつもりはない。
だが、日本は、犯罪被害者の地位向上が、犯罪被害者ではなく遺族の一部によりもたらされてきた。

犯罪被害者自体は長年活動していたのに、たったの数年でできた。すごいと思うし、その努力を否定するつもりはない。だが、もともとのスタートの地位が有利に働いたのは、申し訳ないが事実だ。日弁連での地位を考えると。

被害者参加制度を導入できたのは、大きな功績だと思うし感謝をしている。
それがどう思われる結果になったのか ― 厳罰化、処罰感情が強調され警戒されている今。
― それはまた彼ら自身の他での活動全てによるものなのだから、それはまた、同じように見られるのは ― 犯罪被害者としては、少し残念だ。

そして彼らの本音はこうだ。「暴行脅迫をもちいた性行為と、通常の性行為の違いがわからない」と。
だから彼らは、むしろ敵だ。
上の記事には出ていないが、民主党政権になり、どういう動きを今後していくつもりなのか。

犯罪被害者遺族の方たちを全て敵視しているわけではない。他の会の方々とは、力をあわせられたら、と思う。

私が、性犯罪被害者として、そして女性として、人間として許せないとただ思うのは、単に、「暴行脅迫をもちいた性行為と、通常の性行為の違いがわからない」男性弁護士の集まり、だけだ。ここにまず、司法関係者のおかしな感覚が反映されているだろう。
司法関係者の中でも、被害者支援に理解のあるハズの立場の人々だ。
こんな人たちのせいで「厳罰化」「処罰感情」と決め付けられるのはたまったものじゃない。


まず、歴史的に考えてほしいと思う。
日本は、戦前の、犯罪者に簡単に拷問をあたえていた現状を改善すべく、戦後は加害者の人権をかなり守ってきた。犯罪被害者より犯罪者の方に重点を置かれていたのだ。


今も、裁判員制度は憲法違反だと、主張している加害者のことが話題になっているけれど。
いちど犯罪被害者になれば、基本的人権などないに等しい。
申し訳ないが、わざわざ憲法違反だの言えるのが羨ましいとさえ思う。

いくら主張しても、聞き入れられないほど当たり前とされている、基本的人権を奪われている現実。
憲法自体、守られていない現実。
守ろうとしていない法律だらけの現実。


犯罪被害者の中でも、置き去りにされた性犯罪被害者を、どうするのか。
刑事訴訟手続き自体が、ありえないほど遅れている日本。

まずは、取り調べの可視化を。

冤罪の温床も問題だが、
ポルノのような調書ができあがるのは、取調官により質問され、被害者が答えたものを、被害者が一人称である調書で語る口調としてつくられるからだ。
情報は取捨選択される。被害者が重要だと思うところが反映されているわけではなく、取調官が重要だと思うところのみが反映される。


あまりに辛い事情聴取をなんとか終わらせ確認する頃にはぐったりしていて、やり直してほしいなんて言えないのが普通だ。
ましてや手書きであればなおさら。内容が間違っているわけではないのだから。
これについては、また別にまとめたいと思う。


冤罪ばかりに焦点をあてずに、被害者も事情聴取をされていることを忘れないでほしい。
被害者だから敬意を払われた対応をされているわけではないのだから。
いくつかの記事で述べてきたが、性犯罪被害者は、本当にひどい扱いを受けている。

時効関連で、証拠保全のことが触れられているが、日本は、性犯罪に関しては、時効でも何でもないのに、証拠保全さえできないのだ。
性犯罪被害者は置き去りにされているあまり、あまりにかけ離れた感覚の差を感じてしまう。


何より、殺人のみが凶悪犯罪とみなされている現実。性犯罪は犯罪とさえみなされていない現実。
異常だ。


欧米だけではなく、韓国にも台湾にも、被害後駆け込める、レイプクライシスセンター(ワン・ストップ支援センター)がある。
韓国のワン・ストップ支援センターについては、いくつかの記事でリンクをはったけれど、台湾の取調べ可視化の進んだ事情(というより日本が遅れているだけなのだが)についても触れておこう。


琉球新報  金口木舌  2009年6月7日 ((魚拓))

 あまり知られていないが、台湾は刑事事件の容疑者の取り調べに弁護士が立ち会う権利を確立している。1993年に沖縄弁護士会の視察に同行したことがある

全土の警察署の取調室にビデオカメラが備えられ、言葉を含めた暴力を振りかざして自白を迫る捜査に歯止めをかけていた。警察署内に置かれ、「自白強要の温床」という批判が絶えない代用監獄もない。隣国の先進性に視察団は目を見張った

▼台湾で立会権が認められたのは82年。短銃を使った銀行強盗事件が起き、拷問を受け自供した容疑者が現場検証の際に川に身を投げて自殺した。直後に真犯人が分かり、国民の猛烈な批判が法改正を促した

台湾の警察庁幹部はこう言い切った。「人権を保障するため、できるだけ弁護人を立ち会わせている。捜査に支障はなく、逆に適正さを証明できる。日本は刑事手続きでは後進国じゃないか」

▼90年に女児が殺害された足利事件で、冤罪(えんざい)を訴えていた菅家利和さんが、釈放された。菅家さんに罪を着せたのは、不正確なDNA鑑定と尊厳を踏みにじる過酷な取り調べだった

▼取り調べの全面録音・録画がなされていれば、虚偽の自白による冤罪は防げた。検察当局は導入に消極姿勢を崩さないが、国民の視線は険しい。「後進国」と言われ続けないためにも、決断すべき時が来ているのではないか。




同じ内容のエントリを、別館の方にもあげましたので、性暴力に理解のある方以外は、そちらへお願いしております。

コメント

[C250] 性被害者の現実

いつもブログをありがとうございます。
こちらを知ってから、苦しんでいるのは自分だけではない、
過去はそれぞれ違っていても、苦しみややりきれなさを理解しあえる場所があるとわかって、慰められると同時に、以前よりも自分を素直に受け止められるようになってきました。

お忙しい中更新していただいているこちらのブログは、とても貴重で、感謝でいいっぱいです。

今回はいつにもましてうなづいて読みました。

私は、警察・裁判のことは体験しておらず、まだ知識もなくて、わかっていません。

でも、よくわかります。
今まで漠然と感じていた世の中に対する恐怖・無力感の原因が、こちらのブログで証明してくださっている気がします。

私たちは本能的に嫌悪感を抱きながらも、「こういう決まりだから」と強制的に従わされている。
そして被害にあっても、「自らすすんでしたことでしょう?」と言われる。

「いい子」「優しい人」でないと「男性から愛されないんだよ、従順社会にも会社にも認められないよ」
小さい頃からずっと強制されている。

「いうことを聞いたら、世の中がよくなる、将来の旦那さんと生涯愛し合って信頼し合っていきていける」
そう信じて、自分のために、世の中のためにがんばって、

そして皆で少しづつ罠にかけて、一人の人生を徐々に破滅させていく。

そこにあるのは、もはや損得ではなく、人間の汚らく醜い心。
自らの幸せを犠牲にする代わりに、他人のものも破壊する。


私は警察にいって裁判をおこせなかったことを、後になって我に帰ったときに、ものすごく悔やみました。

しかしこちらや他の体験をきき、
「はたしてそのときに訴えていれば、今よりずっとよかったというわけではなかったかもしれない」
という思いに、はじめてとらわれました。

とてもかなしいパラドックスですが、
初めて「もしかして、今のほうが幸せなのかもしれない」と思った。
もしかしたらもっと打ちのめされ、傷ついていたのかもしれない。

私を長年苦しめていた呪縛の一つから、解放されたような気がする。


>私は、訴えるべきとは言えない。到底言えない。より傷がえぐられ深くなったようにさえ思う。
>だが、訴えないほうがいいという、その現実はおかしいと思う。


この現実を、なんとしてでも変えたいと私も思います。
うわべの「優しさ」「正義」より、「笑顔」より、「いい人」なんかより、
最低限、法律を守ってほしい、正しく使ってほしい。

「人の輪」って、誰のため?
村社会の多数派の人間のためにすぎない。
今の日本の博愛主義は、「マジョリティー」のためでしかない。
マジョリティーのために、マイノリティーが作られ、マイノリティーにされていく。

なぜ、本当に皆が共存できる社会を作ろうとしないのだろう、
本当の幸せ・愛を、命をかけて探そうとしないのだろう。
なんのために生きているんだろう。
どこかがおかしい、どこかに問題があるのに、根本をけして見つめない。
根本を見つめない限り、問題を解決も、真に幸せにもなれはしない。

被害者を見つめないかぎり、性被害者を受け入れないかぎり、
その社会は嘘の社会だと思う。

私たちは透明人間じゃなく、存在して生きているという「現実」を、しっかり逃げないで見つめてほしい。


先日電車にのっていたら、iPODの音が漏れていると注意された。
そのままにしていたら、あとも何度か注意された。

でも、電車で強姦事件があっても何も言わない。
裸の女性の雑誌を読むおじさんや横柄なお兄ちゃんは見て見ぬふり。

「弱い者」いじめの横行する社会には、けして誰も「強い人」などいない。
  • 2009-09-17 00:43
  • allegra
  • URL
  • 編集

[C251] 管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

[C252] allegra さま コメントありがとうございます

allegra様

コメントありがとうございました。
仰るとおり、私たちは間違ったメッセージに囲まれて暮らしていると思います。
何か違うと違和感を感じても、「気にしすぎ」等言われたりすると、自分の感覚を信じられるようにならないです。わたしは虐待を受けて育ったからかと思いましたが、多くの方の話をきいて、そうではない共通しているのだとわかりました。

警察や検察や裁判所は、正しいことをする、助けてくれると思って育ちます。
でもそうじゃない。性犯罪に対しては特に。
でも、ふだんは権限、特権をかさに威張り散らしているくせに、都合が悪くなると「決まりだから」と、お役所的に逃げます。
そして、性被害は、被害者の落度が問われます。どんな事情であれ犯罪をしてはいけないのに。
他の犯罪だったらしない扱いを受け続けますね。

>しかしこちらや他の体験をきき、
「はたしてそのときに訴えていれば、今よりずっとよかったというわけではなかったかもしれない」
という思いに、はじめてとらわれました。 <

実は、書くかどうか迷いました。でも、現実を知ってもらわなくては、変えることも、変わってほしいという意図も理解されないと想い、悩み、書きました。

・・・このエントリには他にも、読む人によっては不快なところもあるでしょう。
ですが、性犯罪被害者だけ置き去りにされているのに、厳罰化ではなく適正化なのに、それが理解されていません。その原因と私が思う点を書きました。少しでも理解してもらうために。

性犯罪は、一人の加害者が何百人という被害者を出す、社会的な犯罪です。
そこに目を向けてほしい、という想いです。
殺人は怨恨、通り魔、いろいろあると思います。被害者の方、ご遺族の方のお気持ちを否定するつもりはありません。尊重すべきだと思います。ですが殺人だけ凶悪犯罪のように扱うのはやめてほしいのです。

性犯罪に遭うと、生き地獄です。
何度、あのとき殺されていれば、こんなに”落度”を責められることもなく、同情されただろうと思ったかわかりません。ひどいPTSD,鬱状態。働きたくても働けない生活。生きることが困難です。
そしてこれは、私だけでなく多くの被害者が思っていることでもあると知りました。

私は警察に助けを求めたとき、笑われるかもしれませんが殺人未遂で逮捕されると思っていたのです。あれだけ首を絞められたのですから。
性犯罪でも殺人、そして殺人未遂はもちろん起こっています。ですがその差はなんだろうと思うのです。殺意があるかどうかは加害者の気持ち一つで決まります。被害者にとっては恐怖は変わりません。
大切なたましい、こころの部分が亡くなってしまうという、精神的な死は、肉体的な死とは目に見えてはわからないものの、同じではないかと。
ならばいっそ死んだほうがよかった。そしたら加害者は執行猶予などつかずに刑務所に行き、他の女性が被害に遭うこともなく、私が自分のせいと苦しむこともなかったのではと。
ここまで被害者に思わせる社会の現実はいったい何を守ろうとしているのか、理解に苦しみます。

>この現実を、なんとしてでも変えたいと私も思います。 <

想いを同じくしてくださって嬉しいです。
正しい方向に怒りをむけたくても、それができない現実を何としても変えていきたいです。

>被害者を見つめないかぎり、性被害者を受け入れないかぎり、 その社会は嘘の社会だと思う。 <
>私たちは透明人間じゃなく、存在して生きているという「現実」を、しっかり逃げないで見つめてほしい。<

被害者の意見を聴くことを、私たちの言うとおりにしろということと同視し警戒する人もいますが、そうではないのですよね。今までがあまりに踏みにじられすぎてきたのです。
加害者は国民の一人として、逮捕されても、きちんとした扱いを受けているか、心配されていますし、衣食住に困ることもありません。被害者は置き去りにされている疎外感を感じます。
特に性犯罪被害者は。どこにも頼れず公にも訴えることは困難です。

>「弱い者」いじめの横行する社会には、けして誰も「強い人」などいない。<

同じことを、日々思っています。差別のない、多様な生き方ができる社会が、誰にとっても生きやすい社会となるはずです。

[C253] 鍵コメ様

コメントありがとうございました。

読んで、何てひどいことだろうと思い怒りを感じました。少しずつ改善されていっているならともかく、そうではないのかと思い知るたびに、やりきれない思いになります。

性犯罪被害者のみ、調書の作り方を改めてもらえないものかと思います。
あの非効率なやり方、何の得もありません。あるとしたら、先方の思い通りにできるだけでしょう。

最後は「強い処罰をお願いします」で無理やり結びとさせられることが多いように思い、よけいに、正確な気持ちが伝えられないです。最近の殺人遺族によってもたらされた偏りのあまり、厳罰化を警戒する世間の動きも、気がかりです。厳罰化ではなく適正化を求めているのにと違和感を感じる方は多いのではないかと思い、書いたエントリです。

私は「とにかく出てきてほしくない、ずっといつ殺されるかわからなかった、今度こそ殺される、告訴取り下げなんてとんでもない、怖くてできない。でも、刑務所に長く入っていてほしいと言うと、出てきたときに余計こわい」というようなことを言っていたのです。
でも、つまり処罰してほしいということだね、長い刑を願っているということだね、と何度も訊かれました。違うとは言えず、混乱し動揺した精神状態に加え、当時は大人に堂々と意見を主張できる度胸も表現力もなく、最後には頷くしかありませんでした。
結局最後は「厳しい処罰をお願いします」で締めくくられました。他にも同じことをしていたという主張は、証拠はないでしょうということで調書には載らず。どうせ「私」を一人称とした調書なら、「私はそう思っています」、とでも載せてくれればいいのに。

私だけなのかと思っていましたが、最近、ある被害者の方も同じことを仰っていました。
その方は出廷され証人尋問で仰ったそうですが。出廷しないと正しく伝わらない調書、って何だろうとつくづく疑問です。恨みの面だけクローズアップされているように思われて余計理解されないです。

仰るとおり、他にも問題だらけで、とにかく配慮がなさすぎます。
いただいたコメント、どこも激しく同意しました。お気持ちをわかちあえて、嬉しいです。

ありがとうございました。

[C254] お返事ありがとうございました

お返事ありがとうございました。

>わたしは虐待を受けて育ったからかと思いましたが、多くの方の話をきいて、そうではない共通しているのだとわかりました。

虐待を受けたからといって、他人に虐待してよいわけではけしてありませんね。
虐待を受けても、周りを思いやる気持ちをけして捨てない方もいるのだとわかったことも、
とても大きい発見でした。

日本では「加害者は元被害者」「相手の背景を考慮しないといけない」という同情心が、正しさをゆがめ、犯罪者を増長させ、被害者をさらに追い詰め孤独にしているとつくづく感じます。

加害者の背景と、事件そのものは区別して考えないといけない、刑罰とは、被害者・加害者含めて社会に一番よい方法を考えて実行することだと思います。

それなのに、犯罪者は捕まえられてもすぐ放たれてしまう。
おっしゃっているように、個人的な恨みだけで、届け出なり裁判なりしているわけではない。
社会をよくしたい、被害者をなくしたいという個人を超えた思い・正義を守る強い気持ちが身も心もぼろぼろな被害者を奮い立たせている。

犯罪者をかばう人々は、優しいふりをして、自分のことしか考えていない、共犯者と同じ。
それを指摘されるまえに、被害者を徹底的に痛めつけて立ち上がれなくさせてしまう。

なんのためにそこまでする必要があるんでしょうか。
でも自ら必死に探し求めないかぎり、愛も幸せも誰も与えてはくれない、一生自分を憐れんでいきることしかできない。
自分を許し相手を許しさえすれば皆幸せになれる、というのは虚構にすぎない。


>警察や検察や裁判所は、正しいことをする、助けてくれると思って育ちます。
でもそうじゃない。

>書くかどうか迷いました。でも、現実を知ってもらわなくては、変えることも、変わってほしいという意図も理解されないと想い、悩み、書きました。

>・・・このエントリには他にも、読む人によっては不快なところもあるでしょう。
ですが、性犯罪被害者だけ置き去りにされているのに、厳罰化ではなく適正化なのに、それが理解されていません。その原因と私が思う点を書きました。少しでも理解してもらうために。


周りが最初どう思ったとしても、「ありのままの真実」を伝えることが、問題解決の一歩だと思います。
今の日本では、「真実を知る」「真実を探る」ことはタブーに近い。
そうしたら見せしめに徹底的に上からいじめられる。
そうやって真実から人々を遠ざけ、そのもやもの解消のために、一部の被害者・慰安婦をあてがう。
でもそれで本当に幸せなのでしょうか。


>何度、あのとき殺されていれば、こんなに”落度”を責められることもなく、同情されただろうと思ったかわかりません。


裁判をしないほうがよかったのか、死んだほうがよかったのか・・・
助かった命は殺されたまま、殺された命を抱えて生きないといけない。

性犯罪の恐ろしさは、「事件」そのものではなくて、その背景にある社会全体の病魔が集約されている。
性犯罪は、社会の在り方そのものを根底から覆すくらい大きい問題だと本当は皆気づいている。
だからこそ「なんでもないこと」として必死に隠そうとする一方で、ここまでセンセーショナルに扱うのでしょう。
ものすごい矛盾が存在しています。


>ここまで被害者に思わせる社会の現実はいったい何を守ろうとしているのか、理解に苦しみます。


性犯罪者はまともな社会の一員になることを、最初から放棄しています。もしくはそのときは放棄しています。
その代りに、立派な社会人になり幸せな家庭を築く夢のために生きている人の人生を壊すことに喜びを見出します。
壊せば満足し、また新たなターゲットを探します。
そして時間がたちほとぼりがさめたら、「自分も改心したんだから、まともな家庭をもつ権利がある」といいます。
さんざん壊しまくったんだから、楽でしょうね。
仕事も、男社会で被害者が働けないのだから、見つけるのもさぞや楽でしょう。
被害者を下にしてこきつかうでしょう。
子供を育てるお金も環境にもこまらないでしょう。
そして子供も似たような大人になるのでしょうか?
そんな子供ふくめ「児童手当」をだすというのか。
その前にお金を使うべきことがやまほどあるとこの身を滅ぼしてでも言いたい。

そして性犯罪者の裏には、同じように歪んだ、同じ女性を妬み被害をほくそ笑む共犯の女性が必ずといっていいほどいます。
彼女たちは性犯罪者を見逃す代わりに、奪ったものの恩恵と、敵わなかったものが痛めつけられた喜びを享受して生きている。
裏で操って自分では手を汚さない。


「婚活」て浅はかな言葉だと私個人は感じています。
「結婚したい人がいない」というのを多くききます。あたりまえだと思います。
一人の性犯罪者がどんなに多くの女性とそのパートナーの幸せな未来を壊し続けているか、
冷めた気持で結婚して子供を産んで、そこまで無理してしないといけないことなんでしょうか。
それが本当の幸せなのでしょうか。
その前に、もっとすることが沢山あると思う。
愛や結婚は、自然になるものだと私は思うし、それが幸せだと思う。

そういうごく自然なありきたりな幸せを、性犯罪者は壊すのです。

殺人もひどいです。でも種類は違っても、目に見えなくても、ひどいことは他にもあります。

被害者と被害者遺族が違うという話、私も前から感じていました。
別に考え、混同させてはいけないと思う。

うまくいえませんが、するべきこと(いたって明快で簡単)が目の前にあるのに、
それをしないために、物事がややこしくなっているだけで、
まず「するべきこと」をちょっとするだけで、問題はぐんと減ると思います。

「性犯罪の刑罰の適正化」これだけでも実現しないことには、問題はどんどん大きくなるだけと思います。
  • 2009-09-18 13:25
  • allegra
  • URL
  • 編集

[C255] allegra さま コメントありがとうございます

allegra様、コメントありがとうございます。
いろいろなことを考えさせられました。

>加害者の背景と、事件そのものは区別して考えないといけない、刑罰とは、被害者・加害者含めて社会に一番よい方法を考えて実行することだと思います。

そうですね。
同じ背景を持っていても、全てが犯罪者になるわけではないのですから。
性犯罪の加害者は、とても自己愛が強く、ゆえに自分を否定する人間を許せないのだと思います。
そういう人間を育てた人たちが、情状酌量を訴えても、形式ばかりで何の意味があるのでしょう。
加害者の家族は、私の知る限り、みんな異常です。おそらく何世代にわたって。

家族による情状酌量を必ず訴えるのが恒例ですが、本当に、無意味だと思います。
あれこそ、“ショー”です。茶番劇です。
ふつうの人間は家族に迷惑をかけているという認識を持ちますが、加害者は持たないように思います。
何の抑止力にもならないです。むしろ自分が被害者であるような間違った、自己憐憫意識を加速させるだけのように思います。

allegra様も別の表現で仰っていますが、
加害者は、女性と縁がない人ばかりではありません。
妻子がいる人も多いですし、婚約者や彼女がいる人もたくさんいますね。
異常に母親や周囲の女性に愛されている人も沢山います。
息子がそんなことをしでかしても、被害者の女性が悪いと言い切れる(どうやら多いです)のは、笑ってしまうほど呆れ果てます。おかしいです。
現実を見つめない、甘やかしすぎた責任さえ感じることができないのです。

いろんな加害者がいるので、一概には言えないでしょうが、
要するに女性を、大切な存在という認識ができていないのだと思います。

[C256] 何度も申し訳ありません

たびたび恐縮ですが、こちらの場をお借りして、多くの方の目にとまる場所で、
性犯罪の原因について、理解する一助にさせていただきたいです。


>性犯罪の加害者は、とても自己愛が強く、ゆえに自分を否定する人間を許せないのだと思います。
加害者の家族は、私の知る限り、みんな異常です。おそらく何世代にわたって。


究極的には、加害者も「社会によって作られた可哀そうな『被害者』である」、
散々手を尽くし、すべてを失い、絶望しあきれ果てた結果、こういう結論になりました。

彼らは「正当に裁かれることも、罪を償うこともできないまま、周りによってぬるま湯につからされて、いい加減に生き続けなければならない」。
そうやって生きて死んで行く。

彼らを取り巻く環境は、生まれたときからあまりにがんじがらめで、彼らひとりでどうしようもできない。
気づいても、今更そこから抜け出すことは、親や周りがすごい以上、一般人?が思う以上に困難なのでしょう、多分。

彼も私と一緒にがんばって、更生したいと、何度も思ったと思います。
だから、長い間、遠くでもつながっていたんだと思う。

でも、周りの障害が大きく、生まれたときから自分を育んできた環境・価値観といったものをすべて投げ捨てて、新しい環境に身を投じることは、現実には難しく、それが正しいとも限らない。
ある意味人は好まざると、運命を受け入れないといけない。

自由に自己実現して生きる―私にはこれが夢であり、また義務でもあり、許され、自然なことだった、
でも、それが許されない・したくない人々もいるんだと、悲しいけれど長い時間を経ながら悟るしかなかった。

また自己実現して生きることは、自由と同時に孤独であり、所属する場所がない。
この淋しさは、帰属意識の強い人たちにはけしてわかりません。

日本では女性が自己実現して生きることは、かなり難しいです。ほとんど運かもしれない。
女性に限らず、男性もそうでしょう。
社会や会社の言うように生きなければ、村八分にされる。

そのしがらみが強ければ強いほど、ストレスはたまり、向上心や自分らしさを押し込めるさきが、
刹那的な快楽でごまかされる仕組みになっている。
でもそれは、社会全体が虚無・破滅の道だと思う。

それでもその中で誤魔化し生き続けなければならなくて、
息子や旦那・恋人への異常で無意味な甘やかし、
自己実現しているように見える女性への嫉妬と逆襲に駆り立てるのでしょう。

私は、「自己実現」とは、勇気・自立・無欲と思います。
周りに何を言われても、いじめられても、すべてを失っても、自分の信念を貫く。
するとそこからまた本当に手に入れたい強固なものが生まれてくる。

でも、彼らは、一度すべてをすてて、一からやりなおすことができない。
何かを背負っていきる(前科・良心)、別の世界に踏み出すことへの恐怖、
それに立ち向かうリスクより、ぬるま湯にひたり、嘘の愛情にかまけて、甘え甘やかし、
その道具に他人を使ってもいいと勝手に肯定している。
「自分は我慢してるのに、幸せな人間は身勝手で利己的な輩、だから制裁する」。

「自らを不幸にしているのは自分」「我慢する方向が無意味」ということに、一生目をくらまして気付かないで生きるのです。
でもそうするより他に、今更人間形成されているから、できないのかもしれません。

でも、自分と違う人間を、無条件に不幸にしてよい、懸命に築いてきたものを一瞬にして壊していい、
というのは絶対に間違いだし、社会によって裁かれなければいけない。
「幸せそうな人間」というのは、個人の勝手な判断でしかない。

それを一生わからなくても、若い時だけわかってなかったにしろ、
一度被害を与えてしまったら、けして取り返せない。
加害者にはただのきまぐれでも、被害者には人生の歯車が一気に狂い、ビルの崩壊さながらに
未来が崩れていくのです。
でも、さら地になって、一からもっと立派で本物のビルを、建てることもできます。
でも、ものすごい虚無感と犠牲と困難によって、挫折する人も多いです。

犯罪者や共犯者は、自分のしたことを
「何でもない、大したことではない、すぐ忘れられる」
こととして、扱う。
多分、自分や周りががされても、そう思っている。そう生きたほうが「楽」だから。

でもそれは人間として低俗な生き方でしかない。努力も忍耐も何もない。
他人のビルを放火して、ほったて小屋に住むくらいしかできない。
ほったて小屋は立てるのも簡単だから、壊されても、ダメージはない。
皆ほったて小屋に住んでほしいのでしょう、自分たちと同じように。


血縁関係にかぎらず、多くの日本人は加害者に加担します。
職場でも学校でも、嫌というほど感じています。
ほったて小屋よりちょっと上に住めれば、それでいいと思っている。
だからといって、高いビルを建てている人や公共施設を建てている人の足を
ひっぱるのはやめてほしい。
周りはそれを許さないでほしいです。

他人を羨んだり、勝手に恵まれていると決めつける前に、
勇気をもって自分が正しいと思うことや間違いを正すことにエネルギーを傾けてほしい。
そのために我慢を使ってほしい。
他人の嫌がることや不幸になることは、しない優しさをもってほしい。

被害者の声に耳を傾けてほしい。
被害者の声の中にこそ、万人の幸せの鍵が隠されています。
  • 2009-09-20 13:05
  • allegra
  • URL
  • 編集

[C257] allegra様 

allegra様 コメントありがとうございます。お返事遅くなり申し訳ないです。

加害者も被害者も出さない社会にするには、どうしたらいいのでしょうね。
allegra様仰るとおり、彼らは自分たちのおかしさに気づく機会がなかったという点では、かわいそうなのでしょう。
私は、最近は、憎しみというよりも、哀れに思います。
哀れというと、一段見下しているようにも捉えられるかもしれませんが・・・内面的な豊かさを求めることもできず、浅い生き方しかできないのかと。
見下しているのではなく、諦めの境地です。
こういう人間も少なからずいるのだということが。あまりに異常で呆れ果てます。

加害者にならない教育をしてほしい、被害者を一人でも出してほしくないです。
でも現実を見ると・・・その道のりがとても遠いので、、、無力感にうちのめされそうになりますが・・・いちど犯罪者になったとしても、更正することができれば一番いいのでしょう。一人の被害者も出してほしくない身としては、こう書くのも辛いですが・・・
ですが、とても残念ですが、私の知る限り、更正できそうな人はいません。
死刑廃止論が世間を賑わしていますが、日本は今、そういう議論をできるほど、成熟した社会ではないのではと私は思います。特に刑事訴訟システムに関しては知れば知るほど、ありえないくらい遅れていますから。
本当に更正できるのなら、他の被害者を出さないのならともかく、そうでないから、真面目に生きている人たちの安心が脅かされないように、刑務所の意味はあるのでしょう。
どなたかが、司法システムは、やり直す機会をあたえる場とすべき、と仰っていましたが、ふつうの教育もきちんとしていないのに、果たして更正教育ができるのか、私は疑問に思っています。誰が責任を取るのか。理想論と現実は違います。
やり直すという期待のもとに多くの被害者を出しては元も子もない。そういったある意味機械的だった司法の無責任さのツケが今まわってきているのです。

死刑廃止論については考えがまとまりません。
現在、”重大犯罪”とされている、おもに殺人等の犯罪者への議論ですから、何か私にはぴんときません。そういう議論が遠いものに感じるほど、性犯罪は罪が軽いです。

ただ言えるのは、殺人に匹敵する罪だということです。ある意味、殺人よりも苦しみを与えるのではないかとさえ思うほどに。
・・それも一人に対してではなく、
直接人を殺さなくても、何十人何百人の人生にはかりしれないダメージをあたえ、死においやる犯罪です。その周囲の人の人生も大きく狂わせてしまいます。
ですがそれはとがめられない。

ただ閉じこめておくよりも、それはできることならば罪を悔いてもらうことを願いますが、それができないのなら、出てきてほしくないと思います。表面上の悔い改めは迷惑です。
でも、いったん被害者になってしまうと、私怨だのどうのこうの言われ、ややこしくなりますね。

おそらく世間は犯罪被害者の実態を知らないのだとつくづく思います。
一部の遺族の会によって若干知られるところとなりましたが、逆に、彼らのもたらした結果を警戒するあまりの反動も起きていると思います。
反動は、いきすぎるとよくないです。

人ひとりの命は、重いです。
でもそれが加害者の命ばかりを今度は重視されているだけのような気がして、なんとなく落ち着かないです。
私は死刑についてどうのこうの言う立場ではありませんが、あまりに凝り固まった論をみると、そもそも刑罰の意味をわかっているのだろうかと世間の風潮を疑問に思います。


>でも、自分と違う人間を、無条件に不幸にしてよい、懸命に築いてきたものを一瞬にして壊していい、
というのは絶対に間違いだし、社会によって裁かれなければいけない。
「幸せそうな人間」というのは、個人の勝手な判断でしかない。

それを一生わからなくても、若い時だけわかってなかったにしろ、
一度被害を与えてしまったら、けして取り返せない。
加害者にはただのきまぐれでも、被害者には人生の歯車が一気に狂い、ビルの崩壊さながらに
未来が崩れていくのです。 <

・・・激しく同意します。言葉にならないくらいです。

>血縁関係にかぎらず、多くの日本人は加害者に加担します。
職場でも学校でも、嫌というほど感じています。
ほったて小屋よりちょっと上に住めれば、それでいいと思っている。
だからといって、高いビルを建てている人や公共施設を建てている人の足を
ひっぱるのはやめてほしい。
周りはそれを許さないでほしいです。 <

・・・歴史的に考えると、ずれがやはり見えてきますよね。
当事者にならないとわからない、高みの見物、とまでは言いたくありませんが、似たようなものは感じます。
というと別の救済手段を、と言われるのですが、それはまたはぐらかされているようで落ち着かないのです。

おそらく実態を知らず報道で知る限りのことでは、そういう考えになるのも仕方はないと思うのですが。
多少、歯の浮くようなセリフですが、法よりも何よりも、たましい、こころ、愛、は重いです。
人が作ったものが、人を良いほうに導いてくれるならともかく、そうではないのを痛いほど感じている身としては・・・落ち着かないですね。


>被害者の声に耳を傾けてほしい。
被害者の声の中にこそ、万人の幸せの鍵が隠されています。 <

ここのところ、悪夢を連日見てしまい、少し疲れてしまったのですが、原因がわかったとともに、勇気をもらいました。
ありがとうございます。
考えがまとまったらエントリあげたいのですが、どうなることやら・・・(苦笑)

[C258] 死刑廃止について

>死刑廃止論が世間を賑わしていますが、日本は今、そういう議論をできるほど、成熟した社会ではないのではと私は思います。特に刑事訴訟システムに関しては知れば知るほど、ありえないくらい遅れていますから。

本当にそうだと思います。
私も死刑は反対です。人が殺されるのは単純に嫌です。

でも、他人を殺しても(実質的な死・内面的な死)、あまりに簡単に許されすぎだと思います。
「犯罪者を生みだしてしまったのは社会の責任」ですけど、「だから許してあげよう」というのは、本末転倒というか、無責任もいいところだと思います。
被害者は「犬死に」です。報われないどころか、存在自体否定されてしまう。
生き延びても、死んだほうがましだと思う。
おかしいと思います。

自殺者がこんなに多いのに、「死刑」はいけないのか。
私は、犯罪者にならずに「自分を死刑にする」人のほうがほうが、ずっと立派だと思います。
それなのに、自殺者は「弱い」と思われすぎています。
自殺する人にも、三浦和義みたいな、自己愛の塊で、真実をうやむやにし、残された者を永久に奈落の底に陥れる、永久に逃げることしかできない人間もいますから、一概には可哀そうとはいえません。
でも、犯罪者・犯罪すれすれで生きる人間がいなければ、自殺しないですむ人間も沢山いるはずです。
その人たちのことを一体どう思っているのでしょうか。


>死刑廃止論については考えがまとまりません。
現在、”重大犯罪”とされている、おもに殺人等の犯罪者への議論ですから、何か私にはぴんときません。そういう議論が遠いものに感じるほど、性犯罪は罪が軽いです。

>ただ言えるのは、殺人に匹敵する罪だということです。ある意味、殺人よりも苦しみを与えるのではないかとさえ思うほどに。
・・それも一人に対してではなく、
直接人を殺さなくても、何十人何百人の人生にはかりしれないダメージをあたえ、死においやる犯罪です。その周囲の人の人生も大きく狂わせてしまいます。
ですがそれはとがめられない。


最初に言わせていただきたいのですが、
多くの人に被害を与えた加害者と、一人だけに与えた加害者と、
世間的には罪はおそらく前者のほうが重いでしょう。

でも、私のように、後者から被害を受けた場合は、傷は深いです。
周りからは「人畜無害ないい人」、でも自分だけには「悪魔」です。
その孤独ややりきれなさは、本当につらいです。
何も知らない周りがその人を仲間だと思い、社会的な恩恵も普通に受けられるとき、
自分は取り残されたと感じる。

「もうしない」ということは、「なぜ私なのか、私ひとりが受けなければいけなかったのか」。
その苦しみを共有してくれる人はいないのです。
性犯罪(殺人も)は多数決で判断することではないと思います。

痴漢がなぜいけないのかといえば、不特定多数の加害者が、一人の被害者に傷を負わせる。
そして「たいしたことじゃないだろ」という。
でも「たいしたことじゃない」が積もり積もって一人の人間にのしかかったとき、その人の人生を破壊するほどの脅威になりえます。

性犯罪が重罪なのは、一人の人にだけ害を与え、苦しめるということです。
そして加害者は、何食わぬ「表の顔」で、すっきりして、元気に社会に参加していくのです。
被害者だけをとり残して。
「実力社会」とは、そういう構造で成り立っています。
そして皆「自分が生き残れれば、少数がどうなろうが、知ったことではない」と思っている。

被害者の人生だけでなく、被害者の家族にも甚大な被害を与えます。
私は両親から「他人に迷惑をかけてはいけない」と言われて育ちました。
なので、家族に迷惑をかけることでしか、心を保てません。
私の両親は、孫の顔を見ることもできず、働けず浪費してすさんでいくわが子を見るのが、
いままでがんばってきた人生の終末なのかと思うと、やりきれないだろうと思います。

でも、がんばればがんばるほど、空回りして、周りから利用され、うまくいかない。
一度被害を受け、それが適切に癒されないと、自分を傷つけ貶める生き方しか、
わからなくなります。
自分を大事にしたいと思っても、その方法がわからないです。

人は自分で自分を大事にするのではなく、互いを大事にしあうものだと思います。
それが「愛」であり、「平和」だと思います。


一つの犯罪をしたことによって、被害が無尽にひろがっていく、
その被害を最小限に抑えることが、せめて世の中がしないといけないことです。
でも今は、犯罪したほうが、被害を受けるよりずっと恩恵があります。
犯罪を摘発し、犯罪者を更生するのは面倒です。
だから犯罪が減りません。

今の社会は、被害者は生まれてから死ぬまで被害に遭い続けろということなのです。
だから被害者にとっては、死ぬほうがましになります。
それでも、「死刑は廃止すべきなのか」。
「性犯罪はたいしたことではない」のか。
とても疑問が残ります。


お疲れの中、いつもご丁寧なお返事ありがとうございます。
おっしゃること、どれもとても正しいと感じますし、当事者にしかわからぬ深みがあると思います。
それを社会に発信していく姿勢は、とても前向きで励まされます。
新しいエントリーも楽しみにしています。


  • 2009-09-22 22:49
  • allegra
  • URL
  • 編集

[C259] allegra様

コメントいつもありがとうございます、allegra様。
昨夜も悪夢にうなされ夜中に起きたのですが、allegra様のコメントを見て、なんだかほっとしてまた眠りに落ちました。
誰かが自分の思いを受け止めてくれるというのは、安心することですね。ありがとうございます。
いただいたコメント、たくさんのことを考えさせられました。

>多くの人に被害を与えた加害者と、一人だけに与えた加害者と、
世間的には罪はおそらく前者のほうが重いでしょう。 <

誤解をあたえてしまったら申し訳ないです。傷は比べるものではないのでしょうけれど、わたしは、
被害者の受けたダメージは、加害者がどういう人間であれ、その人本人の人生へ深いダメージを受けたという事実の重みは変わらないと思っています。

私が最近、世間の性犯罪への認識の甘さを痛感していることで、社会的犯罪なのだと訴えたいので強調しすぎたのかもしれませんが。私の場合、加害者がその後、何百人と被害者を出したことで、とても大きなダメージを私が受けました。なのでどうしてもこだわってしまうのでしょう。
私のせいでもあると思います。・・・このあたりは思い出すのが辛く、あまり詳しく書けないのですが。
私がもっと頑張っていれば、被害者は出なかったかもしれない。そう思うと、会わせる顔がありません。お前のせいだと言われれば、返す言葉がありません。でも、自分の前に被害にあった人に対しては、私はそう思わないのです。

>でも、私のように、後者から被害を受けた場合は、傷は深いです。
周りからは「人畜無害ないい人」、でも自分だけには「悪魔」です。
その孤独ややりきれなさは、本当につらいです。
何も知らない周りがその人を仲間だと思い、社会的な恩恵も普通に受けられるとき、
自分は取り残されたと感じる。 <

私の場合は、もう、明らかに異常で反社会的人格障害とでもいうような加害者だったので、allegra様の複雑な思いをわかっていなかったと思います。申し訳ないです。
なぜこんなに自分が苦しまないといけないのだろう、相手は楽しんでいるのに。私はこれを加害者にもですが、加害者親族に対してものすごく思います。ありえないくらい脅されましたから。恨むだの呪うだの電話をかけてきて、さらには私の実家に知らせるなどと脅しました。

でも、どうやら、私の知っている範囲であったり、いろんな書籍等を読んで思うことですが、周囲からは、一見ふつうの人に思われている人が実は犯罪者だというのが、多いように思います。
いろいろな加害者がいるのでしょうが、どちらにしろ、どうして何も悪くない被害者がこんなに苦しむことになるのだろうと、それがやりきれないです。

(以下、まとまりのない文章ですので、お時間のあるときにでもお読みください。私自身考えがあまりまとまっていないのです・・・)

>私も死刑は反対です。人が殺されるのは単純に嫌です。 <

そうなんですよね。端的には死刑も殺人ですから。さらに実際に刑を執行する人の負担も考えると、死刑にしろ、とは言えないです。


ただ、死刑を廃止にするより前に、仮釈放なしの終身刑がないのに、死刑は犯罪者の人権も守らないといけないという発想が、
今のままの無期懲役でも十分かわいそう、仮釈放なしの終身刑は導入すべきでない、という論が最近目に付くのです。
それで落ち着かないのかもしれません。

終身刑は人格崩壊を招く、ということで人権を守らなくてはという主張があるようなのですが、それってある程度は普通の感覚を持った人のことですよね。
すでに人格崩壊している人は、どうなるのだと思ってしまうのです。世間のいう“人格崩壊”基準と思われるところにはとっくに達している人は残念ながら大勢います。


逆に、死刑廃止に反対する人は、自然死するまで手厚い刑務官の介護を受けて生活するのに税金が使われるのが嫌だという考えもあり。。。
私は、他に犯罪をしないために、刑務所にいてもらうのなら、税金使ってくださいと思ってしまうのです。私の払っている税金は少ないですが。

あちこちの議論を見ていても、本当に”社会から隔離すべき人”は隔離されていないのを感じて、あまりに感覚のずれ、認識のすれ違いの大きさにうちのめされてしまうのです。


死刑廃止自体はいいんですが、その背景に「加害者を許すべき」という発想が強く見えるのです。
その考え自体は否定しませんが・・・だからといって、被害者の、加害者への怒りの感情を否定するのはなんだか違うなあと思うのです。
怒りの感情は、悪いもののように捉えられがちで、我慢は美徳という風潮がやはり日本は強いのではと思います。
そういう世間の常識が被害者を苦しめることを痛いほど知っている身としては。せめて否定しないでほしいとは思ってしまいます。

また・・・私に危害を加えた加害者に限ってですが、一生反省しないのは明白です。これは直接、あまりに異常な人というのに実際に接しないとわからない感覚だと思います。
たぶん、あれだけ異常な人の存在を実際に知る機会がないのでしょう。それは当たり前で、逆にそんな人が沢山いたら問題ですが。
私は他に、同じくらい異常な人というのを見たことないですから。

私個人の恐怖だけで隔離を望んでいるのではないのです。
そして、もしも、その加害者が反省する唯一の機会があるとしたら、残念ながら死刑を言い渡されることしかないです。極端に自分のことを大事にします。自分の体調や怪我に対しては異常なくらい熱心です。自己愛の強い人間は、自分にダメージを与えるという予測に非常に弱いです。
死刑にしてほしいとは言いませんが、その加害者に限ってですが、自分のしたことの重大さを自覚する機会はなくなりますね。
そう思うと、人間らしく悩み反省する機会を奪うことにもなるのではないかとも私は思ってしまうのです。
それが完全に良いことなのかどうか、私にはわかりません。その可能性もどのくらいなのかわかりませんし。
そういう思索的な生き方をそもそも望んでいないということも考えられますし押し付けるのはよくないのかもしれません。
でも、反省してほしいと思います。
初めて人間らしく悩み生きた後には死刑が待っているというのは、残虐だとも思います。でも無期懲役と死刑では、全く受け取る側には違う重みがあるということはわかります。
何より、死刑ならば絶対に出てくることはないですが、無期懲役ならば、長くなっているとはいえ、仮釈放がやはりあります。
無期懲役が実質無期になりつつあるというところしか世間には知られていないように思います。
無期懲役以外の凶悪犯罪は簡単に仮釈放が当たり前のようです。性犯罪の場合はそもそも凶悪犯罪と見なされてさえいないように思います。


私に危害を加えた加害者は、いずれ死刑や無期懲役になることをしかねない犯罪性を持っているから、それを基準に私がいろいろ考えすぎてしまうのでしょう。
逆に言うと、それ以外は私も他の方と同じく、報道でしか知ることができません。
ただ、死刑という括りでの議論には、個別性を無視し、普遍性が取りざたされているように感じ、違和感を感じます。
当事者と第三者とはやはり違うので、せめて第三者が当事者を否定するようなことはしてほしくないなあと思います。
どちらにも違和感を感じることはありますが、自分の思考をじっくりじっくり掘り下げていくと、こういうことかなあ、と理解できるような気もするときがあります。

たぶん私が落ち着かない最大の原因は、死刑廃止存続云々よりも、その背景にある意識の問題です。
加害者と被害者の、人権の守ろう度の差を感じて、実態を身を持って知っている身からすると、さらに偏りがうまれるということが辛いのかもしれません。
犯罪被害者の人権は、本当にないに等しいです。あまり知られていませんし世間は知ろうという感じもしないのですが。


死刑の問題で必ず取りざたされる被害者遺族の気持ちですが、もちろんいろいろな方がいていろいろな思いがあると思います。
ただ、世間があまり理解していないのではと思うのは、その怒りは、加害者への怒りももちろんあるでしょうが、あまりに理不尽な刑事訴訟システム自体への不信と不満が、どこへもむけばのない怒りとなるのではないでしょうか。

それは、犯罪被害者として、その理不尽さを経験しつくした私としては、勝手な推測ではありますが、ある程度あたっているのではと思います。

[C260] すみません

前回で終わりにしようと思っていたのですが、気を遣わせてしまって、大変申し訳ありません。


>私がもっと頑張っていれば、被害者は出なかったかもしれない。そう思うと、会わせる顔がありません。お前のせいだと言われれば、返す言葉がありません。でも、自分の前に被害にあった人に対しては、私はそう思わないのです。


そういう優しいお気持ちでおっしゃられてたことは、十分承知していますので、本当に気にしないでください。
逆に、他の人のことを考えていない自分を反省させられました。

性被害とひとくくりにしても、事件や背景、相手やその後は皆違います。
その自分だけにしかわからない深い苦しみ・孤独、
人は皆そうなのかもしれませんが、被害者にはあまりに重すぎます。


被害に遭ってから、私は自分の中に悪魔がすみついたかんじがして、苦しんでいます。
今まであった他者への思いやりが、げっそりそぎ落ちた感じがあります。

またそのために、今まで理解できないでいた、自分に理由なく敵意を向ける人々の気持ちが、逆にわかりました。
ひどい傷を受けると、無差別に他者を攻撃する人たちもいるのだと。

私は自分の中に住む悪魔と格闘し、疲れ果てて、エネルギーがそれにばかり向けられて、生産的なことができないでいます。
それが悔しくて、さらに世の中を恨みそうで、相手に復讐したくて仕方なくなります。

>ただ、世間があまり理解していないのではと思うのは、その怒りは、加害者への怒りももちろんあるでしょうが、あまりに理不尽な刑事訴訟システム自体への不信と不満が、どこへもむけばのない怒りとなるのではないでしょうか。


たしかにその通りではないかと思います。
だから逆に長い時間がたっても、思い出したり忘れられなくて、加害者や事件に固執してしまうと思います。

また、気付かなくてよかったことに気付かされ(よい面もありますが)、これからの人生がますます不安になってしまって、気付かないで生きている多数の人たちと隔たりがどうしてもできてしまう。

周りが悪いのでも、自分が悪いのでもない、逃げた加害者と裁かない上へのやり場のない怒りが、わが身を破壊しそうで、どうしようもなくなる。
本当に被害者は孤立無援になって追い詰められるのが、今の悲惨な現状だと思います。

でも、多くの人が理解してくれるようになれば、被害者もずっと一般人のように生きやすくなります。
その活動を日々してくださっている多面体さんには感謝と尊敬でいっぱいですし、微力でもなにかお力になれればと願っています。

また、こちらのサイトを読んでいる声をあげられない被害者の方々にも、状況や悲しみの種類は違えど、共通する痛みを少しでも分かち合い、和らげることができれば、被害に遭ったことも無駄ではないと思える気がします。

死刑については、おっしゃられていることが自然に受け入れられます。
死刑廃止に限らず、「男女平等」の裏にある「性犯罪、特に小児性愛」など、今の方向性はとても「危険」な気がしています。

またお時間あられるときに、新しいエントリー期待しています。
ゆっくりお休みになってください。

  • 2009-09-23 23:57
  • allegra
  • URL
  • 編集

[C261] allegra さま コメントありがとうございます

allegra様、こちらこそお気を遣わせてしまい申し訳なく思います。
お返事遅くなり申し訳ありません。少し生活の変化がありネットの時間があまりとれませんでした。

>他の人のことを考えていない自分を反省させられました

それはないと思います(きっぱり)。
allegra様とやりとりさせていただいて、とてもお優しく、とても真摯なお考えをお持ちの方だと私は強く感じています。お知り合いになれてとても嬉しいのです。

>被害に遭ってから、私は自分の中に悪魔がすみついたかんじがして、苦しんでいます。 <

私も、世の中はこんなに悪意に満ち溢れていると知りませんでした。性善説から性悪説に変わったような気がします。いきすぎた感があって、たくさん考えて今の考えは、どちらでもないのだと思います。
ただ、用心深くなることは悪いことではないと学びました。自分の感覚を信じること、自分を大切にすることはそれまでよくないことのように思っていました。そう育てられていました。私の場合、人にあわせすぎていたかもしれません。
自分の直感を大切にして見分けていこうと心がけています。それを核にしようと。

>自分の中に住む悪魔と格闘し、疲れ果てて、エネルギーがそれにばかり向けられて、生産的なことができないでいます。

私にもそういう時期はありました。それだけダメージを受けたのですから、そういう状態もふくめて、それでいいのだと思うのです。
加害者を許す必要はありませんし、自分を傷つけた相手を許す必要はありません。
ただ、そういうふうに思ってしまうご自分をどうか認めてあげて許してあげてほしいと、私は思います。
本当に、allegra様は何も悪くないのですから。

最近教えていただいた言葉ですが、辛い目にあうと、「苦しむ権利」もあると思うのです。

明るく積極的に動き回ることが良しとされている社会では、生きづらいときを感じることもありますが、
そういうときも、今振り返ると、何かとても大切なものを吸収し身につけてきたような気がします。

コメントの投稿

コメント

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://manysided.blog85.fc2.com/tb.php/52-42139d10
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

Appendix

文字を大きく・小さく

    コメント・TBについて        

    ※ こちらは性暴力被害当事者、性暴力に理解のある方、管理人と友好関係にある方向けです。   
    ※ 上記に該当しない方は別館 へお願いいたします。
    ※ 被害者を傷つける内容、また理解しようという努力、対話する姿勢が感じられないコメントはお断りいたします。
    ※ この場の安全を守れないと判断したコメントは削除もしくは承認しません。節度のある言動をお願いいたします。

    ※ 引用する際には必ずTBをお願い致します。ただし性暴力被害者が傷つく可能性があるものは、承認しない場合があります。

    プロフィール

    Author:てん
    メール:

    (※★→@で送信可)
    itisnot_yourfault★yahoo.co.jp


    性被害にあって十数年たちます。
    刑事裁判経験者です。

    二次被害三次被害等、過酷な経験をし、性被害の後遺症もところどころありますが、それでも、わたしは生きています。今は、生きていてよかったと思います。

    だから、同じ被害にあったあなたたちに伝えたい。
    あなたは何も悪くない。どんな事情があったにしろ、あなたは悪くないのです。どんな特殊性があったにしろ、望みを捨てないでほしいのです。

    悪いのは加害者であり、無理解な社会です。あなたは、何も変わってなどいない。とても素敵なところをいっぱいもっている、素敵な人のままなのだから。


    最新記事

    カレンダー

    05 | 2017/03 | 06
    - - - 1 2 3 4
    5 6 7 8 9 10 11
    12 13 14 15 16 17 18
    19 20 21 22 23 24 25
    26 27 28 29 30 31 -





    記事一覧 

    2012年 08月 【5件】
    2011年 07月 【1件】
    2011年 04月 【1件】
    2011年 02月 【1件】
    2010年 11月 【1件】
    2010年 10月 【2件】
    2010年 08月 【2件】
    2010年 07月 【3件】
    2010年 06月 【1件】
    2010年 05月 【3件】
    2010年 04月 【1件】
    2010年 03月 【3件】
    2010年 02月 【3件】
    2010年 01月 【11件】
    2009年 12月 【9件】
    2009年 11月 【15件】
    2009年 10月 【8件】
    2009年 09月 【13件】
    2009年 08月 【11件】
    2009年 07月 【11件】
    2009年 06月 【9件】
    2009年 05月 【4件】



    ブログで世界旅行(世界遺産編)

    ブロとも申請フォーム

    この人とブロともになる

    QRコード

    QRコード

    検索フォーム

    キャンペーン

    空色リボン・キャンペーン ※性虐待サバイバーのサイト「パーシーの花園」に解説文あり。クリックして一読を!

    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。